>>839

>言葉で説明できる絵画なんて2流に限る。

貴方の方がよほど幼稚な意見に思えます。
シュールレアリスムが絵画において可能だったのも、ある程度、可説明性かつ観念的な要素が
絵画にはあったから。
ダリの偏執狂的批判的方法の可能も、感覚や比喩形象(貴方のいうビジョン)の要素だけじゃなく、
視覚的な強い観念性があってこそ。それを偏執狂的に批判したわけです。

>>832さんの仰ることの正しさは現代音楽シーンを見れば明らか。
感情表現を音に求めてすらいないのが、今。保守派・折衷派・中立派はいつの時代でも絶えないけど。

>>834

感情は自ら作り出してますが。「ここは怒るべき文脈だ」「ここは悲しむべき文脈だ」こんな自己暗示が
全くないと言い切れますか?私は九割がたこれです。感情自体がカテゴライズされ、経験性を持つ以上、
「このときにはこういう感情を起こすべき」といったどこか客観的・反省的要素は、絶対あります。
そしてそれはカテゴリー化・概念化されてるから、言葉で説明できます。というか、むしろ言葉で説明できるように、
感情を概念化したわけであって。

ドミソというか三和音、第7音、連続完全五度の回避等は、人間の生理性だけでは説明できない。
不協和音・ノイズを好む人もいる限り。