精神性
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001589:2007/02/04(日) 23:15:48 ID:e6o/wsza
2007/02/05(月) 11:20:11ID:dCfaGy46例えば>>619はブラームス第4交響曲を出した。
この曲を演奏・感じる為には、東洋人なら次の漢詩を感じられなければ無理だ。
「内も、良寛。」だ。
我生何処来 我が生は何処(いずこ)より来り
去而何処之 去って何処にか之(ゆ)く
独座蓬窗下 独(ひとり)蓬窗(ほうそう)の下に座して
兀々静尋思 兀々(ごつごつ)として静かに尋思(じんし)す
尋思不知始 尋思するも始(はじめ)を知らず
焉能知其終 焉(いずくんぞ)能く其の終を知らん
現在亦復然 現在も亦復(また)然り
展転総是空 展転 総べて是れ空
空中且有我 空中に且(しばらく)我れ有り
況有是興非 況んや是と非と有らんや
不知容些子 如かず 些子を容れて
随縁且従容 縁に随って且く従容(しょうよう)たるに
「随縁且従容」 これが東洋的諦観というものだ。クライバーもカラヤンも落第だ。
これを第一楽章冒頭ハ音で表現できたのはフルトヴェングラー/ベルリンフィルのみ。
精神性とは、こういうことを言うんだよ。
軽々しく「精神性」などという語を使うな。
0809名無しの笛の踊り
2008/02/01(金) 00:22:13ID:dQQE5zCPねえ、君、ジャズやバッハ以前の西洋音楽には精神性があり、バッハ以降のクラシック
には精神性が無く、スポーツやアミノ酸の仲間?
おじさんには全然わからないんだけど?
0810名無しの笛の踊り
2008/02/01(金) 00:24:16ID:dQQE5zCP知ってる? 絵画や文学って?
0811名無しの笛の踊り
2008/02/01(金) 08:18:54ID:wilQE5Ibこれだけ国際化がすすんで、クラシック(クラシックに限らずジャズなどなども)というジャンルが世界でうけいれられている現実を見れば、
坊ちゃんのいうことが全て間違いとは思わん
0813名無しの笛の踊り
2008/02/01(金) 22:14:58ID:BJ/NTz1j読めないんだよ。日本語に翻訳したものを読んでる。翻訳には精神が必要。精神性に
基づかないで感動することは絶対できない。具体性をもつものなんだよ。
ある意味、文学は空想してるに過ぎない。実体験に似せる精神性が必要。
フランス人にしても同じ。精神が十分に筆者の精神性までついていかないと理解できない。
小学生ですごいベトやモツの演奏をする人はいっぱいいても、フランス文学を高度に
理解する小学生はまずいない。精神性が十分高くないと理解できない。年齢とか人生経験が大事なんだよ。
テストでも同学年では社会や国語の点数はそれほど差がつかないけど、
数学や物理では大きな差が出る。音楽はこれがかなり顕著。音楽性という才能によってしまう。社会や国語に天才はいない。
精神性の高低が大事。通常高齢の方が精神性は高い。
絵は、具体的なものでしょ。ひまわりでもモナリザでも富嶽36景でもいいけど、
具体的なものしか描けない。つまり普段の日常生活で見るひまわりや女性や富士山
から得る精神性とは分離不可能。絵はヨーロッパや日本の文化とは分離不可能。
日本人が精神によってイメージする富士山は、ヨーロッパ人のそれとは違う。
歌舞伎とか東海道53次とかを理解しないと、理解したことにはならない。
日本人の精神性が必要。文学と同じように、感動するためには、それを支えるストーリー、精神的背景が必要。
音楽はこれとは違う。音自体には具体的意味はない、抽象的なもの。
ベトやモツを聞いている時に、誰かが死んだりしていることを空想しているわけではない。
精神性と違って、感動とか感情には特定の文化・人種・宗教などに基づいた特殊性はない。
0814名無しの笛の踊り
2008/02/01(金) 23:39:22ID:NUpLHTnS0815名無しの笛の踊り
2008/02/02(土) 00:02:22ID:pS2VVZpc俺は、高等人種ということだな。
0816名無しの笛の踊り
2008/02/02(土) 02:25:25ID:nE1Ca4zh中々面白い。それを精神性というかどうかは知らんがww
「精神性」を聞く側、見る側に持ってきた所がいい。
0817名無しの笛の踊り
2008/02/03(日) 10:13:32ID:K6oh/7R/そんなキミにヴォリンゲルの「抽象と感情移入」を薦める。ピカソのなど、前衛的な絵画が
広く世の中に知られる様になった頃に書かれた、美学上の画期的とされる著作。
古代エジプトのピラミッドの極度の抽象と、古代ギリシャの見事な自然範形の模倣による
芸術を対比させ、二つの異なる芸術衝動原理について論じている。
理屈好きならきっと楽しく読めるだろう。
0818名無しの笛の踊り
2008/02/03(日) 11:31:00ID:7oEADYET0819名無しの笛の踊り
2008/02/03(日) 19:56:54ID:ZL3p/Vb4音符や音を使わずに言葉だけで音楽本体を語ることはできないと思うんだが。まあ、だからここで何を言っても意味ないんだが。
その話は知らないが、
ホントにピラミッドだから美しいの?三角錐や四角錐の数学の問題が出てるときに美しさを感じられるの?
F1や新幹線の流線型とかも、車とか新幹線知らなくても美しいと感じられるの?
単にその具体的なピラミッドの精神性に感動してるだけなんじゃないの?ピラミッドのおもちゃでも感動できるの?
モツは実演でもCDでも、雑音だらけのレコードだろうが、小学生のピアノだろうが、基本的にモツの美しさは同じだよ。
視覚上の芸術は言葉で表現可能だが、音楽は無理だと思うんだが。
0820名無しの笛の踊り
2008/02/04(月) 08:55:24ID:W1PjNumo三角形とか円錐とか、ピラミッドでも紙に書いたものでも
実際に目に見えているものは、本当の三角形や円錐ではない。形がゆがんでいる。
しかし、人間は、頭の中で完璧な三角形や円錐を理解できる。
音楽も同様に、頭の中でしか完璧なものを描けないだろう。
しかし、三角形などと違って、普通の人間にとっては、音楽を頭の中で描くのは難しい。
だから、大抵は、現実世界で聴いた音楽を頭の中で繰り返す行為で、音楽を頭の中で描いている。
こういう風に見ると、ピラミッドよりも音楽の方が抽象性が低いとも言える。
まあ、「三角形」と同列の抽象性を持つものは、作曲家の作った音楽ではなくて、
和音とかコード進行とかかな。
点とか線=単音かな。
ピラミッドの設計図=楽譜
ピラミッド=演奏
0821名無しの笛の踊り
2008/02/04(月) 21:55:44ID:Un6CPfX2論じてるんだよ。オベリスクや美しい線のレリーフなども思い浮かべてみるといい。ピラミッドは、
その象徴的なモニュメントというわけだ。
0822名無しの笛の踊り
2008/02/04(月) 23:12:08ID:yShuocFz音楽なら、大作曲家は抽象化された音楽が頭の中で鳴っている、モツは音を鳴らしながら作曲したわけではないはず。
音でなく感情のまま描けている、美のまま描けている。
幾何学は図形を抽象化するものだとしたら、音楽は音や感情を抽象化するもの。そこには精神性はひとかけらもないと思うんだ。
抽象化度が高いのはそりゃ幾何学などの数学だな。数学では時間と空間は抽象的なものだから。
クラシック音楽は、時間と空間だけは具体的。空気振動だから、これだけは抽象化できない。でも人間の感情を表現してるから当たり前だな。
ピラミッドに感動しているのは、歴史の重みとか、政治力とか、具体的な景色の雄大さだと思うんだ。
アレが住宅地の真ん中にあっても感動できるのか。
石じゃなくてプラスチックでも感動できるのか。
観光目的で最近ショベルカーで作ったものでも感動できるのか。
人間の手で石を積み上げ、砂漠の中、何千年もの不変性を獲得した精神性に感動してるだけでしょ。
実際にピラミッドに感動していることとは違う。2000年前のピラミッドの美しさと今のピラミッドの美しさは違う。人間の精神性は各時代で異なるから。
コードがない以上、歴史や景色や具体的な不変性などの連想力から感動するしかないと思う。
本当に抽象芸術が通じるのは精神性0の赤ちゃんだけ。言語を獲得したらもうダメ。
建築、彫刻、絵画などの芸術は精神性が高くなればなるほど、
つまり大人になればなるほどいい芸術になるし、受ける方も、感受性は高くなる。経験に基づく連想力が高まるから。
0823名無しの笛の踊り
2008/02/05(火) 07:39:01ID:3WVCUqaP0824名無しの笛の踊り
2008/02/05(火) 23:35:28ID:qfdyg35iその話と「音楽が感情を表現する・している」というのは別の話じゃないのか。
それと感情って抽象なん?
0825名無しの笛の踊り
2008/02/05(火) 23:52:30ID:fQwf6+cM0826名無しの笛の踊り
2008/02/06(水) 02:46:54ID:5qsCobZ/なくすことはできない。肉親が死んだ時に湧き上がるもの。楽しい、悲しい、うれしい、ってやつ。
ピラミッドを見たときに感じるものとは違う。
精神のように人工物ではなく、天然物。自然の一部。肉体と一体。
前も言ったが、精神は言語で語るが、
普遍的な感情は、つまりクラシック音楽は人間の体を使った天然の楽器でなければ表現できない。
具体的な感情を抽象化したものが音楽。美。音楽が感情を表現している、というのは、
具体的な感情のことではなく、抽象的な感情。つるかめ算じゃなく、2次方程式。
もしクラシック音楽本体の音楽性という言葉を言い換えるとしたら、精神を抽象化した
精神性ではなく、感情を抽象化した感情性とかだろうか。
0827名無しの笛の踊り
2008/02/06(水) 21:24:26ID:JTTLfQK60828名無しの笛の踊り
2008/02/06(水) 22:15:41ID:HuMMM0k/0829名無しの笛の踊り
2008/02/06(水) 22:40:46ID:eqSghq+c感情表現て言ったら、怒るとか泣くとかいくらでも表現できる。
0830名無しの笛の踊り
2008/02/06(水) 23:05:59ID:HuMMM0k/0832名無しの笛の踊り
2008/02/06(水) 23:26:53ID:htFVu2guモーツアルトもしてはいたが、それほど重要視していなかったんじゃないか。
つまり、音楽だって、感情表現もできるけど、音楽=感情表現ではない、と思う。
0833名無しの笛の踊り
2008/02/07(木) 06:58:15ID:2Pdvw5qUいかに音楽性だけを抽出して演奏するかが音楽家の能力。具体性を出さずに
作品をそのまま伝えられるか、音楽表現のまま、美のまま伝えられるか。
クラシック音楽は宗教、アニメ、恋愛、文学などの精神に置き換えずに伝えることが大事。
あくまで普遍的に。みんなの心に響くように。言い換えると人工的な音にならないように演奏することが大事。
0834名無しの笛の踊り
2008/02/07(木) 07:32:11ID:2Pdvw5qUできないと思うが。
精神と違って感情は自ら作り出すことはできないでしょ。
仕方なく自然に怒ったり泣いてしまうのであって、こういう具体的で基本的な心の状態が感情。
基本的に言葉では表現できない。
つまり芸術家がそのまま表現できるものではない。
劇では視覚的に怒ったり泣いたりすることで記号化するが、
生理的な結果を真似してるだけであって、感情の内容を伝えているわけではない。
つまりこうした外面上の表現は単なる言葉と一緒。
天然物だから、感情は自分では作れないんだよ。ドミソも属七も人間が作ったものじゃなくて、もともとあるもの。
演奏は、いかに本当の感情を抽象化できてるかがポイント。心がこもっているか。
その評価は、音を聞いて聞く人が感動したかどうか、それだけで決まる。
0835名無しの笛の踊り
2008/02/07(木) 07:56:28ID:syEeGL5I0836名無しの笛の踊り
2008/02/07(木) 07:57:17ID:xawupNMN0837名無しの笛の踊り
2008/02/07(木) 08:43:21ID:7vgSbXBw0838名無しの笛の踊り
2008/02/07(木) 20:16:47ID:syEeGL5I0839名無しの笛の踊り
2008/02/10(日) 00:08:41ID:4vyJJBieなんだこりゃ、ガキか?
言葉で説明できる絵画なんて2流に限る。真に優れた画家において、例外なく、
作品とは、ある種の感覚行使の強行の結果獲得する或るビジョンなのだ。
0840kyrie@脱KY中☆ ◆.RYdSpBfEI
2008/02/11(月) 01:15:57ID:SAp6QtOJ>言葉で説明できる絵画なんて2流に限る。
貴方の方がよほど幼稚な意見に思えます。
シュールレアリスムが絵画において可能だったのも、ある程度、可説明性かつ観念的な要素が
絵画にはあったから。
ダリの偏執狂的批判的方法の可能も、感覚や比喩形象(貴方のいうビジョン)の要素だけじゃなく、
視覚的な強い観念性があってこそ。それを偏執狂的に批判したわけです。
>>832さんの仰ることの正しさは現代音楽シーンを見れば明らか。
感情表現を音に求めてすらいないのが、今。保守派・折衷派・中立派はいつの時代でも絶えないけど。
>>834
感情は自ら作り出してますが。「ここは怒るべき文脈だ」「ここは悲しむべき文脈だ」こんな自己暗示が
全くないと言い切れますか?私は九割がたこれです。感情自体がカテゴライズされ、経験性を持つ以上、
「このときにはこういう感情を起こすべき」といったどこか客観的・反省的要素は、絶対あります。
そしてそれはカテゴリー化・概念化されてるから、言葉で説明できます。というか、むしろ言葉で説明できるように、
感情を概念化したわけであって。
ドミソというか三和音、第7音、連続完全五度の回避等は、人間の生理性だけでは説明できない。
不協和音・ノイズを好む人もいる限り。
0841名無しの笛の踊り
2008/02/11(月) 01:23:14ID:oXKgxNx3あるいは中原自身の詩作の遍歴をたどってみな。
0842名無しの笛の踊り
2008/02/11(月) 01:36:05ID:wc7GAuMWじゃあ、モナリザで何かが沸いてくるなら、自分でモナリザを書いたり、コピーしたものでもルーブルのモナリザの前に立った時と同じ感情が沸くの?
音楽は音、音楽性だけで決まるが、絵は絵だけでは決まらないと思うんだが。
ダビンチが筆を走らせた、ってことが重いわけでしょ。
人々を何百年も魅了し続けた欧州文化を含めた精神性に感動してるんだと思うが。
絵を何も知らない日本人の子供に何も先入観なくモナリザを見せたら、
何か感じるのだろうか?
クラシック音楽では意外と一発屋が多い。名前が売れなくても
音楽さえ良ければ一曲だけ認められることが多い。絵は精神性が大事だから、
その精神性が認められなければ絵を認められることはほとんどないはず。
無名画家が1枚だけ認められてクラシックになることはほとんどないと思う。
法律家でも作家でも政治家でも、文型は精神性が伴った作者の名前が大事。
理系の場合には、その定理でも作品でも物質でも、その内容がよければ誰が発見者・作者だろうが関係ない。
モツやベトの有名曲が万一他人の作品だったとしても、価値は全く変わらない。
モナリザが無名の画家だったら絵の価値は大きく変わる。どんなに時代が動こうが、モツベトの価値は全く不変。
0843名無しの笛の踊り
2008/02/11(月) 02:02:11ID:IiMj8likその通りなんだけど、
感情表現をしたというよりかは、
感情をネタに作曲する事が流行ったって事だよね。
聴衆が一般人にかわり、
必ずしも音楽に精通している人では無くなってきた。
そういう人に対して分かりやすい手法の一環だったと思う。
0844名無しの笛の踊り
2008/02/11(月) 09:14:09ID:wc7GAuMW>感情自体がカテゴライズされ、経験性を持つ以上、
「このときにはこういう感情を起こすべき」といったどこか客観的・反省的要素は、絶対あります。
いわゆる懐メロやCMなどのテーマ音楽とクラシック音楽は全く違う。若いとき聞いたPOPSを何十年後かに聞いて、当時のことを思い出す懐メロ
は、CM音楽からその商品を思い出すのと同じ。別にその音楽に感動してるわけではない。絵や小説と同じ、単なる連想。
経験で感情度が深まるんだったら、クラシック音楽は改良されれば、より感情が深まるはず。クラシック音楽では、基本的に経験的に他人が手を加えて
もクラシック性を増すことはできない。これはクラシックのスコアが知識や経験の積み重ねの結果・集大成ではないから。抽象化したもの。三平方の定理みたいなもん。
手を加えれば加えるほど具体的になり、テーマ音楽として使いやすくなるもの。中学のとき算数から数学にかわると多くの人が戸惑うけど、その能力があれば、
圧倒的に大きな世界を獲得できる。クラシック音楽も、経験ではなく、もともとある語法・文法、原理・定理に基づいたもの。抽象化したものは基本的に限界がない。
最初は少し戸惑うかもしれないけど、一度分かると飽きることはない。無限に具体的なものを代入できる。傑作音楽の具体的な感想は、個々の音楽性に応じて無数にある。
>ドミソというか三和音、第7音、連続完全五度の回避等は、人間の生理性だけでは説明できない。
>不協和音・ノイズを好む人もいる限り。
味覚もそうだが、それが音楽性という個性。人種や文化にはよらない。ショートケーキは大抵好きな人が多いが、納豆は好きな人と嫌いな人がいる。
納豆嫌いが精神性が低くて、好きな人が精神性が高い、とかいうことは全くない。音痴も同じ。人格と関係なし。
0845名無しの笛の踊り
2008/02/11(月) 13:25:13ID:oXKgxNx3>こんな自己暗示が 全くないと言い切れますか?
ハァ、なんだこりゃ?
感情とは、外的事物の変化に応ずる人間の心の自然な動きのことだ。君が自ら作り出していると
思っているのは、感情に似せて架構した観念に過ぎない。観念を架構し馴れ合っているのだよ。
こんな初歩的な混同してて恥ずかしくないかね? そんなことではとても哲学など理解できまい。
キリエは初心者決定wwwwwwwwwwwwww テラワロス
0846名無しの笛の踊り
2008/02/11(月) 17:11:12ID:74ysqUg2ただし、信仰心などはそれ以前からあっただろうが。
バロックは率直に単純な感情表現の曲が多いけど、バッハやヘンデルは一歩ふみこんでる。
ただしフーガの技法はつっこまないでくれ
0847kyrie@脱KY中☆ ◆.RYdSpBfEI
2008/02/11(月) 23:36:03ID:SAp6QtOJ随分音楽の方に肩入れしてますね・・・
音楽は、価値変わってますよ。貴方のは理想論だと思います。
事例を挙げれば、バッハの空白の100年やプフィツナーの人気復興、今日の古楽の再評価など、キリがありません。
所詮相対的・偶然的なものです。モツやベトは、成功したんです。
生前から既に評価されてましたから。後者は難聴による苦悩などと美化されていますが、
その人生が資料として残っている事実が、彼の生前からの音楽とは離れたところにある評価を示唆してはいないでしょうか。
そしてこの問題は、社会学的な話に足を突っ込むことになりますよ?
今は人種問題が見直され、むしろ反動的にかえってその見直しが行き過ぎる一方(女性問題等)、
黒人に対してなどの蔑視が潜在的に根深く、この両傾向が葛藤しあっている状態です。社会レベルでも、個人レベルでも。
このような現代にあって、作品の正当な評価が、普遍的な評価が下せるでしょうか?
一般的に言えることは、どの時代でも行き過ぎた先鋭的なイズムがあって、その反動としてのイズムがあって、
それを中立的に眺めるイズムがあって、しかし社会状況こそは刻々と変わっているわけです。
今こそ音楽はメディアとして親しまれていますが、絵画を眺める行為、音楽を聴く行為、全く異なるのは
誰もが認めるでしょう。便宜的に(音楽はながら鑑賞ができる)、心理的に。それを精神性として秀でていると
考えるのは、間違っていると考えます。
0848kyrie@脱KY中☆ ◆.RYdSpBfEI
2008/02/11(月) 23:51:54ID:SAp6QtOJ>別にその音楽に感動してるわけではない。絵や小説と同じ、単なる連想。
観念論的な言い回しですね。「音楽自体」という観念的な産物を想しているあたり。
その音楽に感動しているわけではない、と、どうして分かりますか。
そして、「この音楽は死の際の作曲家の心象を反映していて・・・」という聴き方、連想でもいいですが、
それで感動が深まることを、どうして否定できましょうか。
>経験で感情度が深まるんだったら、クラシック音楽は改良されれば、より感情が深まるはず。
実際そうでしょう。教会旋法から機能和声へと移り変わって、感動は増したとは思いませんか?
多くの人が認めることだと思うのですが。それは、教会旋法の響きの美しさへの感動よりも、
ドラマティックな表現、感情表現をより複雑に反映可能になったことに由来する感動が、
人の心をつかんだということです。
>これはクラシックのスコアが知識や経験の積み重ねの結果・集大成ではないから
どうしてそんなことが分かりますか?作曲家の人生の過程、無意識の領域における和音選択など
を全く無視していいものでしょうか?何を抽象化したのですか?
クラシックの理論自体は、具体的にある音楽から、その通底するものを抽象したものです。
それに基づいた音楽は、それに基づくからこそ、具体性に他ならないではないですか。
0849kyrie@脱KY中☆ ◆.RYdSpBfEI
2008/02/12(火) 00:09:17ID:PdZWpnOUでは踏み込みますが、外的所与の受容=人間の心の動き、ということでいいですね?
その心が、「感情に似せて架構した観念」を生み出すわけですね?それは、心とは違うわけですよね?
すると、外的所与は、一切の心的過程・感性的過程を経ずして、「自然」に心を動かすのですね?
では純粋な感情など、それが内的か外的か、に関わらず、架空なものとなるでしょう。
外的所与は、自然状態のままではいられません。と考えます。
自然じゃないから、わざわざ人間に所与として入り込むのです。
それは、器官の連続性・形式性を経ます。その中途で、完全にその器官のある点で、「自然」となれば、それは解決します。
が、それはいろいろな器官を通って、歪む、と考えます。だから、「心」以前の器官で、いかにそれが「自然解決」しようとも、
心に届くものは、心に届くだけの、形式性を通ったものでしか有り得ない。と考えます。
0850名無しの笛の踊り
2008/02/12(火) 00:37:34ID:mnWvtlTH論点が良くわからんし、誤解もしてるぞ。赤ん坊は母親が死んでも泣かない。物心つけば
母親が死ねば泣く。外的事物の変化に対応する人の心の応答は、悟性、知力、経験、あらゆる
ものの影響を受けるだろう。だがそれが、外的事物の変化に応ずる人間の極めて自然な応答の
仕方なのだ。そうではないか? 自然=なにものも経由しない、ということではない。
>心に届くものは、心に届くだけの、形式性を通ったものでしか有り得ない。と考えます。
そうだよ、それは当然のことだ。
0851名無しの笛の踊り
2008/02/12(火) 23:02:37ID:zu2wCDCV精神の有様とか方向性とか、考え方とかそういう言葉に近いと
だからある人が精神性が高いと思う指揮者や作曲家っていうのは
その人の精神性と指揮者や作曲家の精神性が似ている、それで共感できる
そういうことなんじゃないかなって思います
それを○○は精神性が高いと言わずに○○に共感できるという言い方に変えていく
そうしたらもっとクラシック音楽が親しみやすいものに変わっていくんじゃないかなって
評論家には水先案内人のような役割があると思いますから、良いとか悪いとかハッキリ言うのはいいと思います
でもそうではない場面でそういう言い回しをしてたら、クラシックを聞くっていう文化が根付かないんじゃないかな
評論にしたって何人かの評論家の評論を一緒に載せるっていうやり方が必要じゃないかな
0852名無しの笛の踊り
2008/02/13(水) 21:42:01ID:qQjKTWS5ハア? 何言ってんだお前。空疎な論理の道筋を辿ったあげく、
「外的所与に応ずる人間の自然な応答」 → 「純粋な感情など、架空なものとなるでしょう」
だと?
哲学的言辞を消化しきれず、思考の迷路に迷い、日常の言葉の持つ意味さえ失ってしまっているな。
ほんとにお前哲学わかってんのか?
0853名無しの笛の踊り
2008/02/14(木) 22:03:32ID:LsMFQBYpイチローの正確な常人離れしたプレーから精神性を読み取ることはできる。
発言や生活も明らかに常人とは違う。
だけど、イチローのプレーそのものをより深く楽しむことでしか、イチローの野球上の個性は分からない。
スイングスピードの速さとか、体重移動の仕方とか、そういう所を見るべきであって、あの言動とか生い立ちとか人間性、精神性を読み取っても全く意味がない。
むしろ精神性を理解するのではなく、自分で野球をやってバッティングの難しさを直接感じると、イチローのすごさはもっと分かるようになる。
音楽も、自分で演奏すると、そのすごさが分かるようになる。というか、それでしか分からない。
これは、頭だけでは分からない感覚で音楽性が理解できるようになるから。感覚は体と心が一体のもの。
どれだけ本を読もうが、議論しようが、頭の中だけで処理したのでは、本当の音楽にはならない。
人間はつい、経験や知識に基づく精神性、すなわち言葉に頼りたくなってしまう。既に経験したものに当てはめたがる。その方が理解できたものとして安心するから。
実際ここでも、音楽を哲学などの精神性に基づく解釈を試みようとする人が多い。
こうした精神的表現は全く意味がない。クラシック音楽は非精神的表現でしか表現できない。それまでに獲得した知識を再生するものではなく、新規な感情を表現するもの。
クラシック音楽の表現は、何時間思索を巡らせてもマイナスにしかならない。クラシック音楽と精神は違う独立な空間だから。
むしろ音楽表現のためには、精神性を取り去るための精神性が必要。つまり邪念を取り除いた集中力ってやつ。
理系は集中力が非常に大事。こうすることで、直感・アイデア・感情といった人間本来がもつ表現力が表出する。
精神性を残したまま表現すると、どうしても人工的な音、ウソの感情、常識的な音、つまらない不明瞭な音楽表現になる。
クラシック音楽は、音楽の中でも特に精神性からかけ離れた存在。決して宗教上の説教とか、その精神性を聴きたくて生き残った音楽ではない。
0854名無しの笛の踊り
2008/02/14(木) 22:46:40ID:Eyknkb4F0855名無しの笛の踊り
2008/02/16(土) 08:19:31ID:3euWdyQBこうすることで、日本国民全員が理解する。大人になって実は頼朝や尊氏ではない、と聞いた瞬間、たかが顔の絵一つなのに、何か今までの自分が否定された錯覚に
陥らなかっただろうか?世界が変わって自分の人格とか人間性・精神性を傷つけられた感じを受けたはず。歴史や思想信条を否定された時は、自分を否定されたのと同じ。
これは、あの絵から単なる顔ではなく、日本の歴史の強烈な精神性を受け取っていたから。さらに、実は聖徳太子も違うんじゃないの?と他の絵の精神性まで影響していく。
後で冷静に考えれば当たり前だし、今の小学生からみたら、バカじゃねーの、ということだろう。ある種霊的、精神的なものは、具体的な人工物だからどうしても間違いがある。
ていうか、絵だから別にあれを頼朝にしておけば問題なかったはず。絵画はこうした精神性でその価値は決まる。
そこでは他人の精神、又は外部の情報を信じることで、自分が信じるという過程をとる。
これが宗教や文化などの本体。精神の上にはどんどん精神が積みあがっていくからなかなか崩壊しないけれど、崩壊した時にはとんでもないことになる。
0856名無しの笛の踊り
2008/02/16(土) 08:20:37ID:3euWdyQB抽象化した数学やクラシック音楽や人間の感情では、こうした間違いはない。
基本的に作者個人の主張ではなく、人間の感情だから教わることはできないし、自分のことだからウソもつけない。理解力も表現力も自分でつけるしかない。
駄演奏・駄曲や誠実でない感情から、ウソをつくことはできるけれど、それも結局は理解されない。
いい演奏と悪い演奏の差は、音楽上でこのウソをついているか、いないか、の差。感情に忠実であれば名作、そうでなければ駄作。
頼朝と尊氏の肖像画は今後一切載らなくなるが、万一月光や熱情がベトの作品ではなかったことが判明しても、
多分、演奏回数が極端に減ることはないと思う。これがクラシック音楽の絶対性、普遍性、非芸術性。つまり非精神性。
それぞれの音楽が絶対であると同時に、音楽同士には全く関連性はない。過去の他人の作品もあくまでヒント。決して歴史の流れでできたものではない。
0857名無しの笛の踊り
2008/02/16(土) 08:38:36ID:QockJ803>視覚的な強い観念性があってこそ。それを偏執狂的に批判したわけです。
知覚と観念とは全く別の物だ。視覚的観念性など言葉の上の捏造にすぎん。君はつくづく素人だな。
>ある程度、可説明性かつ観念的な要素が 絵画にはあったから。
ある程度ならどんな芸術にだってある。彼らは何故ペンではなく絵筆を握るのか? もし言葉による
説明で済んでしまうのであれば、彼らが絵筆を取る理由は無い。
「言葉で説明できる絵画なんて2流に限る」これにいささかの修正の必要も認めないね。
およそ。「目から血が出る」ような経験をしない画家は、何物でもないのさ。
誰の言葉か知ってるか?
0859名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 00:08:44ID:0V3mboxf絵を鑑賞するのって、全然違うことなんだぜ?
0860名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 01:10:22ID:oSxu/qxd0861名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 01:36:16ID:9LHUvs+b同じ頼朝像でも歴史の教科書に載るのと美術の教科書に載るのとでは意味が違う。
フェノロサが救世観音の覆いを剥いで以来、仏像の見方が全く変わった例もあるぞ。
0862名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 01:54:06ID:yc2x8O4Rデータが違っているだけでは、精神性は傷つかない。
似顔絵としての忠実性を鑑賞者が評価したものではない。東大寺の大仏みたいなもん。歴史と芸術性の高さを受け取ったもの。
こうしたものは専門家が評価し、国宝として認めらている。
浮世絵も同じ、モナリザも同じ。クラシックな絵画は、芸術性を見ている。絵師の主張を見ている。
基本的に古いものほど精神性が蓄積し、価値は高まる。
またコピーしたものには全く価値がない。具体的なものだから、本物と偽者のどちらかしかない。
音楽は、今日のベトの演奏も200年前のベトの演奏も音の内容だけで価値は決まる。
古いからといって価値が高いわけではない。方程式のようなものだから、いつ発見されたかは
関係ない。どれだけ実際に役に立つか、一般性が高いか、だけで決まる。
ピカソの絵も、ピカソが書いたものであるかそうでないかで内容は変わる。
絵を知らない人がピカソの絵を見ても、理解できない。絵は歴史の連続だから、
つまり精神性だから、バロック・ルネサンス・印象派などを分からずにピカソを理解することは
非常に困難。平安時代・戦国時代を知らずに鎌倉時代を理解することはほぼ不可能なのと同じ。
音楽は、それぞれが違う感情を示したもの。クラを理解しないとジャズを理解できないとか
いうことは全くない。バッハが苦手なモツ弾きなんて腐るほどいる。バッハとショパンは
いいけどその中間の時代のモーツアルトはダメ、というクラファンも多い。これが音楽性。
0863名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 09:12:34ID:elXtuOqj日本人がベートーベンを美しいと感じるだろうか。恐らく美しいとは感じないだろうよ。
それはやはり、先進国の経済的優位や君の言う歴史の連続、つまりベートーベンを
美しいと、我々自身が知ってか知らずのうちにか、教育された、あるいは洗脳された
結果ではないだろうか。そうだとすれば、その一見ベートーベンといった音そのもの
だけが美しいかに聴こえる、と感じる感覚や感性そのものが教育され、
君のいう意味での”精神性”が、その絵画を感じる感性と同じように、音楽にも
付与されてきたということは否定できないんじゃないか。そしてそういうあり方でしか
音楽も存在できないんじゃなかろうか。
僕も音楽は好きだよ、演奏もする。でも物事の真偽について考えるのに自分の希望や嗜好に
左右されるのはおかしいと思うね。
0864名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 09:15:42ID:UmaXeWl+じゃ、突然こんなクラの地に乗り込んできて、
何をオススメしたいワケ?
クラはクラでもキャバクラ?
確かにそっちの方が正しいけどw
つまり、録音媒体でしか聞けないほどクラは衰退したで、FA?
0865名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 09:50:58ID:elXtuOqjクラシックは”衰退”したんだろうか?この言葉遣いそのものがこう何か
クラシックは永遠不滅だというような響きを帯びている。
そんなものあるんだろうか。それこそ精神的な考え方ではなかろうか。
また人間は新しいものを作り出してしまう、作り出さざるをえない存在だとすれば
その時々のはやりすたりがあるのは必然といえば必然だろうよ。しかし一方で面白いのは
ベートーベンは忘れ去られるということはないだろうということだ。
いまある西洋音楽は彼らの時代に確立された和声法といった手段を基にしているわけだから
西洋音楽は自己言及的にというか、必然的にベートーベンにかえらざるをえないんだよ。
よほど新しい、ベートーベンを超えるようなやりかたを見つければ別だが、まあ当分ないだろうよ。
0866名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 09:59:13ID:UmaXeWl+色んな意味で天に近くなるような気持ちになるのは間違いではないと思うけど?
それが楽しくてクラ聞いてるんでしょ?違う?ムカツキたい為に聞いてるんじゃないでしょ?
とりまく環境がどうあれそれだけは忘れないで欲しいな?
だって死んだら皆一緒だよ?だから音楽に癒されるんだしさ。
0867名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 10:10:35ID:q1TCmXKZ好きな解釈で弾いた演奏家に対して共感を感じる時、その
演奏家を「自分と同じ好ましい精神を持っている」という意味で
「精神性」という言葉が使われるんじゃないの?
だから精神性ってのは絶対的なものじゃないよ。
0868名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 10:13:27ID:elXtuOqjしかしクラシック音楽を聴いて”泣く”ということはないな。
”カンドー”ね。小泉首相の顔が浮かんでくるな。そういった言葉を過剰に使う
ことがどういう結果をもたらすかね。
それからその今はやりの”癒し”という言葉。音楽に癒しの属性はあるだろうけど、
それを過剰に強調することには抵抗を感じるね。
まあ、そうカッカしなさんなや。ひょっとすると音楽って変に人を感情的にしてしまう
傾向があるのかもしれないな。ま、気をつけることだな。
0869名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 11:36:19ID:0V3mboxf似合わないような、静かな深い内奥の充実感だな。
現代のピアニストが髪を振り乱して憑かれたようにピアノを叩いてるところを、
未開人が見たら、引くだろうなあ。
0870kyrie ◆.RYdSpBfEI
2008/02/17(日) 14:43:42ID:gjQBYfbF知覚なんて言っていません。視覚です。
視覚とは光彩を介した、情報の解釈される以前を言っています。
すると、純粋にスペクトルのみを、知覚する、とは、それに対する眼球上の制限性を認めるとしても、
変な言い方です。
知覚は、どこまでが知覚と一般に呼ばれえているものなのか?
神経の延長性を辿って、(神経の)ここからが知覚―なぜなら像を逆さまにしたから、あるいは、
そこからが知覚―なぜなら人のもっている観念性、記憶に照らして、それに形象的輪郭、色彩的輪郭等を与えたから、あるいは、
あそこではもう知覚ではない―なぜなら、視覚的所与を比喩しきって、相次ぐ網膜上の刺戟にも拘らず、
諸比喩を、先験的な規則(決して論理的とは言わないけれども)にしたがって、肉の刺激を無視するから―
などなどと、言えるものでしょうか。
>ある程度ならどんな芸術にだってある。彼らは何故ペンではなく絵筆を握るのか? もし言葉による
説明で済んでしまうのであれば、彼らが絵筆を取る理由は無い。
笑。経験と憶測だけで語っても無駄です。貴方のように考える多くの無学な芸術家が、己の表現様式
に固執しているだけです。
それに、「ある程度」、というぼかしを、どうしてそうもさらっと流してしまうのですか。
表現様式上の、ブレ。「純粋な絵画」などないし音楽も然り。
絵画的音楽。音楽的絵画。絵画と音楽の連続性が可能であるのは、ただ、それらの体験の比喩である、
形象に全ては還元可能だからです。
0871名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 16:07:31ID:0V3mboxfでは、「視覚的な強い観念性」とはもっと不可解になるなあ。君はいつも釈明
するほどハマって行くなあ。
知覚とは、感覚器官の物理的応答に付与する人間的な意味付けのことだよ。
0872名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 16:48:44ID:0V3mboxf>形象に全ては還元可能だからです。
君は本当にそんな幻想を抱いているのか? 実際の画家の実制作上の、色彩やフォルムに関する技術
の獲得や、様々な冒険の結果、画家が手に入れる大切なものが無視されている。君の意見のほうが、
実際の製作過程を無視した憶測のように思えるが。
0873名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 17:34:19ID:9LHUvs+b0874名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 20:06:09ID:eKE4hgKe三行以上のレスは文章じゃなくてモニタに映ってる
模様だと思えばすっきりとした精神性が得られるよ。
0875名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 20:13:14ID:QGhhAV7gどうも、宇野や虚なんかは自分の好き嫌いを精神性という言葉にはめてるだけだよな。
0876名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 22:08:24ID:PRO7a7yb精神性が低いと言われる傾向にある。
0877名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 22:33:14ID:9LHUvs+bさすが諸井だ^^
0878名無しの笛の踊り
2008/02/17(日) 23:16:10ID:yc2x8O4R>美しいと、我々自身が知ってか知らずのうちにか、教育された、あるいは洗脳された
>結果ではないだろうか。
言語を獲得するプロセスは洗脳ではない。因数分解や和声を習うのは洗脳ではない。音楽を理解するプロセスは洗脳ではない。
アメリカの意向でパン食が定着しても、洗脳ではない。パンの美味しさを理解しただけ。脳が処理能力を獲得する過程は洗脳ではない。
洗脳とは社会科や国語にしか適応されない。太平洋戦争は日本が悪かったとか、
天皇は神とか、言語を使って自分の思想・精神性を他人の頭に移植し、同一の精神性をコピーすることが洗脳。
精神性が低い時に、つまり若い時にローカル言語を獲得した後に行うのが最も有効。
精神というのは、基本的に似てくるもの。宗教の教義でも、他人を敬いなさいとか、
かなり似た精神性をもつ。相反する精神性は、基本的に同居できない。精神性は、
天然の非精神性に基づいているから、時代の要請・社会の要請で変化する。
音楽の場合にはこれとは逆。同じ感情は、より真実に近い方だけが生き残り、残りは消滅する。
一方、違う感情は、同居できる。音楽的に他人と似た曲は、それだけで駄曲。
クラシック音楽は、これだけ科学技術が進歩し、自動化・電子化が進み、時間感覚も
変化してるが、今後も大して変わらないだろう。
0879名無しの笛の踊り
2008/02/18(月) 07:44:30ID:K89cTB0Vベトは描写音楽ではないと言ってるけどな
0880名無しの笛の踊り
2008/02/18(月) 11:25:59ID:K89cTB0V精神性が高いとも低いともとれますよね。
0881名無しの笛の踊り
2008/02/18(月) 20:32:12ID:K89cTB0V0882名無しの笛の踊り
2008/02/19(火) 05:36:26ID:RS39/L9V美しいと感じるのと同様にたとえば、鎌倉時代にはじまった、能楽を美しいと感じることが
できるかね?今の時代よほど意識的な日本人でない限り自国の伝統音楽に触れる機会はない
んじゃないか。これは異常なことと思えないかね?やはり我々は洗脳といってよいほどに西洋文化
に過剰に曝されている。音楽が恐ろしいのはその君のいう普遍性や感覚に直接に訴えかけるという
音楽性ではないか。その安易さゆえに目に見えない空気のように我々は音楽を吸収してしまう。
また再生装置の発達のゆえに、同じメロディーが、同じ和声法が何度も繰り返され口ずさんでしまう
ほどに身についてしまう。それゆえに、我々は安易に西洋音楽の音が美しいものだと思い込まされて
いるとは思わないかね?これは、洗脳でないと言い切れるんだろうか。
0883名無しの笛の踊り
2008/02/20(水) 02:57:16ID:QjeJisz1音楽は、正しく各民族の精神性を反映していると言えよう。
最近はアニヲタの独逸人もいたりするが…
0884名無しの笛の踊り
2008/02/20(水) 08:59:24ID:jtH9WQ2Zよく言われる、着物じゃなくて洋服なのは日本人が自分自身を大切にしてないから、ていうやつですね。
これも音楽と同じです。洗脳とは全く違います。洋服の方がカッコいいからでも、安いからでもありません。それらは間接的な話。
必要とされてるから洋服なんです。雅楽よりもクラシックの方が必要とされてるから。和菓子よりケーキ。需要の関係で決まってる話。
雅楽は昔は相当はやっていたでしょう。でも日本文化に大きく依存していたため、日本文化が衰退したり、変化したら聞かれなくなります。
テーマ音楽は、従属する精神性の変化に大きく影響をうけてしまいます。宗教音楽は宗教に影響されてしまい、アニメソングはアニメに
左右されてしまう。単なるドイツ音楽だったら、ドイツの影響力に依存したものになる。クラファンのあなたは今のドイツ音楽を聴いてますか?
今みんなが聞いてるPOPSロックはアメリカやイギリスでしょう。イギリスのクラなんか、全く聞かれてないでしょ。これが、クラがドイツ音楽ではないことの証明。
個人の音楽性だけで決まっている。みんな東京に住んでるから東京からヒット曲が生まれてるだけ。
0885名無しの笛の踊り
2008/02/20(水) 09:07:28ID:jtH9WQ2Z>音楽が恐ろしいのはその君のいう普遍性や感覚に直接に訴えかけるという
>音楽性ではないか。その安易さゆえに目に見えない空気のように我々は音楽を吸収してしまう。
洗脳・宣伝と言語獲得は区別されなればならない。
精神性を使わないアプローチは宣伝・洗脳にはならない。数学の授業と日本史の授業は
同じ授業という形態だが、似て非なるもの。クラシックコンサートと落語は完全に別のもの。
洗脳は、特定の伝え手側が目的をもって主体的に与えるもの。精神性のあるものしか伝えられない。本を使う、絵を使う、説教する、こうした記号化されたものを使う。
どの程度、伝え手側の精神性を理解できたかで、洗脳度が決まる。政治家・宗教家などは高い精神性が必要。ていうか、精神性そのもの。受け手側の才能は重要ではない。
伝統だから、世襲の方がよい点も多い。
一方、言語獲得は伝え手側の意志はあまり重要でない。いくら名教師だろうが、ミュージシャンを育てることはできない。音楽を理解する過程は、
CDを借りてもいいし、ラジオをたまたま聞いてもいいし、自分でスコアを買ってピアノを弾いてもいいし、媒体の内容だけが重要。伝え手側の意志を理解する必要はない。
音に刻まれた音そのものを理解することが大事。受け手の能力で大きく変わる。つまり音楽性。ブルが分からなかったとしても人間として恥ずかしいことではない。
ただ、漱石や芥川を理解できないとしたら、日本人としての人間性・精神性を疑われてもしょうがない。音楽は人間として身につけるべき教養ではなく、もともとある感覚。
強制できないし、洗脳もできない。
0886名無しの笛の踊り
2008/02/20(水) 18:45:50ID:8hzbS28c”西洋”そのものが音楽によって、安易に優れたものであると思い込まされている現状に
ついてなんだよ。オリエンタリズムだな。西洋音楽は全くそれとは異なる次元で語られて
よいのだろうか。その安易さゆえに我々は無批判に受け入れてしまうことの危険性について
言いたいんだよ。それが繰り返されてその生理に訴える美しさゆえに西洋そのものが優れ、東洋が
劣っていると思わされやすいんだよ。常々思うのは、君が代がどうして西洋音楽の手段によって演奏
されるのだろうかということだ。
0887名無しの笛の踊り
2008/02/20(水) 20:11:56ID:QjeJisz10888名無しの笛の踊り
2008/02/20(水) 21:56:37ID:jtH9WQ2Zただし、西洋絵画・西洋文学・西洋彫刻は西洋の象徴。
我々はアジア人だから、手術はしないで漢方で治療すべき、なんて考える人はいない。
日本人だから、微分・積分は関和孝の理論で学ぶべき、なんて考える人はいない。
ただ、文学はまず日本人の文学をしっかり理解すべき。その後、海外の文学を理解すべき。
どうもこの2つを混同してしまう傾向が強い。この混同が、クラシック音楽に精神性があると勘違いする元凶。
単にヨーロッパ人が和声に基づいて絶対的音楽を発見し、様式化・定式化したというのに過ぎない。
子供の時にベトがいい音楽だと思ったが、ドイツ人だとは別に知らなかったけどなあ。
非精神的世界は「無批判に受け入れてしまうこと」はありえない。理解できるかできないか、どちらかしかない。
国歌は単なるテーマ音楽。日本国歌は日本の精神性を示したものではなくてはならない。
楽曲が優れてたり、演奏が優れている必要など全くない。日本を象徴できているかが大事。オリンピックとか
ツールとして使うので、演奏しやすい方がよい。音楽は精神性の下位にあるので、ラッパでよい。
0889名無しの笛の踊り
2008/02/23(土) 00:10:26ID:XAOk6sli日本ではね!(あんたが知らんだけじゃないの?)
0891名無しの笛の踊り
2008/02/23(土) 22:37:45ID:DUdKyir/0892名無しの笛の踊り
2008/02/24(日) 11:29:15ID:a8QkD5bC国にしろ、人にしろ、絵にしろ、古ければ古いほどよくなっていく。これが歴史、伝統。
また、こうした人工物は世代間を跨いで伝達することができる。
感情は世代を超えて伝えることもコピーすることもできない。
人間の体を使った天然の楽器でしか伝えられない。
絶対的な音楽、人間が感じる共通な感情はそういつくもあるわけではない。
数学の場合も同じだが、一般性のある重要な定理・公式は現代ではまず生まれない。
今でも非常に高度な定理が生まれ続けているが、あまり現実には役にたたないものばかり。
こうした非精神的な抽象化表現は、現実の世界で使える範囲は限られるので、
クラシックな数式やスコアは有限な数しか存在しないといってよい。
今クラシックな音楽が生まれないのは、別に今の人の音楽的才能や数学的才能が低いからではなく、
基本的な定式化が済んでしまったから。
現実世界に必要な数式はほとんど明らかにされてしまっているので、もう枝葉の部分を探るしかない。
数学の教科書は百年たってもおそらく今とほとんど変わらないはず。
一方、社会の教科書は解釈や時代によって、時には出版社によって内容は変わる。絵画の位置づけもしかり。
音楽も、人間の感情を示す音は大部分定式化されてしまったので、科学技術がいくら進歩しようが、
コンピュータがいくら発展しようが、ベトやモツを超えるクラシックな音楽が生まれることはまずない。
精神的な音楽にシフトしていくしかない。精神的な音楽は人間の手でいくらでもできるから、今後も生まれ続ける。
また精神性には答えというのはない。個人の主張だから、人間の数だけ演奏も作品もできる。憲法解釈にしろ、
歴史的遺産の価値にしろ、仕方なく最高裁判事であったり、一番偉い歴史家たちがその価値を決める。
音楽の場合には専門家は価値を決めない。演奏家と聴衆がどれだけ演奏し続けたか
だけで価値は決まる。絶えず行列するラーメン屋が価値が高いのと同じ。
0893名無しの笛の踊り
2008/02/24(日) 19:03:53ID:GNCTVyzi所詮、平均的な義務教育の成果はこの程度か。
クラシック音楽を愛好するからといって知能が高いとは限らんということだな。
モーツアルトの効果もこれじゃぁな。
0894名無しの笛の踊り
2008/02/24(日) 19:38:06ID:uXB4NzLR0895名無しの笛の踊り
2008/02/24(日) 20:07:45ID:CVgPP7Gr0896名無しの笛の踊り
2008/02/27(水) 00:43:47ID:NmvCWEnM具体的なものは時代とともに変化する。絵の具の色素は褪色して変色・変質してしまう。むしろその変化が歴史になって価値は上がる。
ただ傷や汚れは大きく価値を落とす。絵や彫刻や文学は人間が作ったもの。
ベートーヴェンの直筆譜は同じように変質するが、ベートーヴェンの音楽は1000年経っても人間の生物学的構造と、地球上の空気密度が変わらなければ、全く変わらない。
クラシック音楽は一見人間が作ったように見えるが、単に天然から切り出してきたものを調理してるだけ。数学と料理を足して2で割ったようなもん。
精神性が宿る芸術は誰が書いたか、いつ書かれたかが重要。ピラミッドが最近作られたものだったら誰も見ない。東大寺の大仏が江戸時代に建てられてたら国宝ではない。
音楽は抽象的な芸術。フルトベングラが80歳を超えても価値は高まったりはしない。基本的に特定の脳の抽象化能力、処理能力だから、ある時点を境に能力は衰える。
また具体的な音はあまり重要でない。サントリーホールの音と公民館の音は全く違うが、演奏も音楽の内容が変わらなければ、音楽の価値は変わらない。
音を少々外したり、ノイズが入っても価値は変わらない。
精神性は人間に付随するものだから絶えず変化するが、クラシック音楽は絶対的なもの、自然に存在するもの。
天然鰻と養殖鰻では、人間の本来持つ感覚では、必ず天然鰻の方がおいしい。食品は合成できない。だから真の意味で非天然の医薬品は合成できない。
タンパク質に結合する化学構造は既に決まっている。これと外れる人工甘味料も本当に意味で甘みを感じることはできない。
いくら電子ピアノが発展しようが、ピアノの音にはならない。ベトの音楽は鳴らない。
おそらく進化の過程で天然素材が触れ合って発生する音に感じるように聴覚が進化してきたのだろう。当然合成した音には反応しない。
0897名無しの笛の踊り
2008/02/27(水) 00:44:26ID:NmvCWEnM人間の精神性が入り込めば入り込むほど、この天然状態からずれて人工物へと変化していく。
ただし、人間はこの人工物に慣れると、それが正しいと錯覚する性質も持っている。
単に自然現象の一部を切り取って抽象化しただけなのに、人間自らの手で作ったものと錯覚するようになる。
つまりクラシック音楽に精神性があると思い込むようになる。作品が人間の精神性の結果だと勘違いする。
自分で自分自身を騙す、ということが可能になる。これが精神性。いくら年をとろうが、
経験を積もうが、知識が増えようが、所詮人がつくった頭の中のもの。天然物に勝てるわけない。
もちろん、人工的な音楽を否定するつもりはない。電子楽器を使った音楽もすごくいい。
ここでは精神性を思いっきり込めることができる。ただ、クラシック音楽でそれをやるのは筋違いでしょ、っていう話。
0898名無しの笛の踊り
2008/02/27(水) 01:10:24ID:YOKzCe1nそれに天然 vs 人工なんていうあたり、トンデモ系か?
0899名無しの笛の踊り
2008/02/27(水) 07:37:11ID:PHj4kSiFワラタ
0900名無しの笛の踊り
2008/02/27(水) 10:14:02ID:/I5FT0IP>>896
一行目 絵画彫刻の美学的な価値を否定しないでんなこと言われても説得力無し。
四行目 全人類に共通の生物学的構造のみで音楽を聴けたら確かにそうだろうね^^
十行目 脳のなんたらで語るなら「抽象的」ではなく「生理的」という言葉を使えば?
十二、十四行目 精神性を否定しながら快不快に関わる要素まで取ったら何も残らないわけだが。
十五行目 その先入見で自ら絶対的な存在を歪めているとは考えないのか?
十六行目〜 何の論拠も無しに「人工」を否定してもただの天然志向、それこそ君の「精神性」だろうに。
>>897
一行目 そうやって君の精神性で音楽を侵食してますます人工的になるんですね。
五行目 お前がお前の精神性に騙されているのは分かったからもういい。
八行目 序列を決定するだけで否定はしないですもんねw
まあなんだ、俺が言いたいのは
とりあえずゆとり死ねってことだ。
0901名無しの笛の踊り
2008/02/29(金) 00:01:37ID:WAxThFWo音楽に込められた様々な情念が、自然の何処かにころがってるとでも思ってるのか?
天然物とか言っちゃって、天然記念物級のアフォだな。
ゆとり教育はまじで見直したほうがいい。
0902名無しの笛の踊り
2008/02/29(金) 21:24:52ID:ZwSpQb7g0904名無しの笛の踊り
2008/03/02(日) 20:28:58ID:hguUtiSn例はいくらでもあるが、これらは皆、坊主の理屈が完全な出鱈目であることの証明だよ。
ドビュッシーに至ってさえ、象徴詩派の作品をテーマにしたものがいくつもある。
0905名無しの笛の踊り
2008/03/03(月) 20:01:43ID:VkAwD5CO0906名無しの笛の踊り
2008/03/03(月) 21:32:20ID:1VDJdeFA視覚上の美と音楽の美は全く違う。むしろ正反対。
視覚は抽象的に理解することはできない。人ならば、女を見た時点でもう男女の違いからは逃れられない。
性的な意味から逃れられない。年齢も同じ。人種も同じ。具体性を消すことはできない。絵は現実と似てることが大事。抽象絵画や浮世絵にしろ、
現実と似ていないことも、似てることの裏返しでしかない。
文学もそうだが、同じ絵や小説を2度読むことはまずない。
単純に小説を2回読んでも10分後に絵を見直しても、ストーリーが予測できる以外は変わらない。
ただし、大人になってから読んだり、絵を見るとより深く理解できるようになる。
これは精神性が高まるから。文学・絵は、人生経験が大きなウェイトを占める。
それまで生きてきた背景で内容は全く変わる。日本人が読むフランス文学とフランス人が読むフランス文学は違う。
小学生が読む文学と大人が読む文学は違う。また、頭だけの問題だから、
基本的には体調が悪くても何かを食べながら接しても変わらない。
音楽の場合には、同じレコードを繰り返し聴いても、クラシック音楽では
基本的に1回目と2回目は違う。10分で人間の精神性は全く変わらないが、
音楽性・音楽能力は向上する。基本的には、2回目の方がよく聞こえる。
これは音楽を理解できるようになるから。また、肉体と頭が一体となったものだから、
体調や気持ちによって音は変わる。体調が悪いときといい時は違う音になる。
体を動かしている時と止まっている時の音楽は違う。
演奏者も聴衆も出す音・受け取る音は毎回毎回違う。特に女性では気持ちの揺れが激しく、違う音になる。
つまりクラシック音楽では、具体的な音は聞く方も奏でる方も毎回違う。
抽象化された音楽だけは絶対だが、それから派生する演奏は絶対同じになることはない。CDにしても、
初めて聞いた時と、飽きてしまった時に聞く音は違う音になる。
絵や文学はそこから出る光や文字は絶対変わらない。受け手の精神性だけが違いを生む。
0907名無しの笛の踊り
2008/03/03(月) 21:36:17ID:1VDJdeFA音楽の抽象化表現と文学・絵の想像を混同してはいけない。
想像は仮想的なもの。要するにウソ。文学で出てくるストーリーは基本的にはウソ。
恋愛にしろ、戦争にしろ、実際に起きてないことを書いている。絵も同じ。
音楽で示される不安・幸福・勇気・恋愛はウソではない。これらの感情の抽象化表現。
万有引力の法則と同じ。運動方程式と同じ。実際には摩擦とかがあるから
方程式通りには物体は移動しないが、ウソではない。人間の精神と関係なく、
物体の移動はほぼこれに従うと考えてよい。
音楽なら、感情は楽理とそれに基づいた絶対的音楽通りに描かれると思ってよい。
ただし、摩擦と同じように、スコアだけでは現実の感動にはならない。それ以外の部分も重要。
この違いが生まれるのは、音には具体的意味はなく、コードだけがあるから。
絵や文学にはコードはなく、具体的意味だけが存在するから。
必然的に絵や文学は個人の主張になる。特定の思想・精神性を表したものになる。
必然的に音楽は人間が自ら支配できない感情表現になる。
クラシックな器楽曲や交響曲は歌唱を除いているが、これも言葉が入ると抽象性が消えるから。
ただ、人間の声はこれ以上ない音楽的な音だから、ストーリーがなければ
絶対音楽になり得る。
0908名無しの笛の踊り
2008/03/03(月) 22:25:10ID:WTNkCJhDちなみに卓球板では「かすみん」と呼ばれている。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。