ようするに心的世界には、精神性からなる思考的空間と、音楽性からなる音楽的空間の2つの空間があると思えばよい。
それぞれの空間は相互作用して感情・感動でつながってはいるが、別次元、独立。
つまり、感情・感動だけが2つの言語空間で互いに翻訳可能であるということ。

思考すればするほど、音楽的能力は衰える。言い換えれば素直な気持ち、というやつがなくなっていく。
もちろん、素直な気持ちを持ち続けたまま理性が大きく育てばベストだが、基本的には相反するもの。
音楽家にとっての最大の敵は常識・既成概念。つまり思想・信条といった精神性本体。
人間は当たり前のことには感動しない動物。

社会でもまれればもまれるほど、ものごとを疑う気持ちが強くなる。
汚い側面を理解するようになればなるほど、感動をそのまま受け取ることができなくなる。
感動・気持ちに鍵をかけるのが精神。人間がつくったルール、規範。
これらが獲得言語でしか語れないのと同様に、別空間である音楽的空間は音楽でしか語れない。
だから音楽にはウソがあってはいけない。自分の感情と異なる音を出しては
いけない。精神で塗り固められた音楽は音楽ではない。
音楽は共通言語としての定義をもつ絶対性があるから音楽。

精神性を表現した音楽も人間が作った人工物。精神が見えた時点で音楽は単なるツールでしかなくなる。
モツやベトが意図した音楽とは違う。絶対的な音楽、クラシックはあくまで感情を活性化させるためのもの。
それぞれの傑作は、感情の種類こそ異なるが、普遍的な音楽的空間の定義を記述したもの。