精神性
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0001589:2007/02/04(日) 23:15:48 ID:e6o/wsza
2007/02/05(月) 11:20:11ID:dCfaGy46例えば>>619はブラームス第4交響曲を出した。
この曲を演奏・感じる為には、東洋人なら次の漢詩を感じられなければ無理だ。
「内も、良寛。」だ。
我生何処来 我が生は何処(いずこ)より来り
去而何処之 去って何処にか之(ゆ)く
独座蓬窗下 独(ひとり)蓬窗(ほうそう)の下に座して
兀々静尋思 兀々(ごつごつ)として静かに尋思(じんし)す
尋思不知始 尋思するも始(はじめ)を知らず
焉能知其終 焉(いずくんぞ)能く其の終を知らん
現在亦復然 現在も亦復(また)然り
展転総是空 展転 総べて是れ空
空中且有我 空中に且(しばらく)我れ有り
況有是興非 況んや是と非と有らんや
不知容些子 如かず 些子を容れて
随縁且従容 縁に随って且く従容(しょうよう)たるに
「随縁且従容」 これが東洋的諦観というものだ。クライバーもカラヤンも落第だ。
これを第一楽章冒頭ハ音で表現できたのはフルトヴェングラー/ベルリンフィルのみ。
精神性とは、こういうことを言うんだよ。
軽々しく「精神性」などという語を使うな。
0685681
2008/01/13(日) 19:32:02ID:pb/RKZND刺激されたとしても音楽がかかっていさえすれば問題なし
0686名無しの笛の踊り
2008/01/13(日) 23:03:26ID:zBWv+J/g精神性噺からは離れるけど、ちょっと気になったので。
絵画を見て心を揺さぶられるような経験てしたこと無い?
あるいは・・・詩を読んで、字の並びだけから匂い立つような香気を感じたこととか?
ないとしたら、いい作品に出会ってないか、鑑賞経験の浅さだと思う。
クラシック音楽だって、いくら聴いても眠くしかならない人もいる。
音楽の素晴らしさを言うのは分かるけど、他のアートの理解の浅さを出した後じゃ説得力ないよ。
0687名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 00:28:07ID:QiiFLbUp言語を獲得した時点で、意味づけを行っていることと同じ。
こうした言語の分野は、多分精神性と強く結びついていると思う。「精神性」に
重きを置く人は、感情・気持ちを精神性の低いものとして嫌っていて、思想・哲学
を精神性の高いものとして扱っているように思う。主に、学者・知識人と呼ばれる
ような人たち。これは別に他人に何かを伝えようという機能よりも、内面を思索するツールだと思う。
通常、芸術とは呼ばれない。音楽は演奏者と聴衆がいて成立するもので、こうした後天的な言語
に基づく精神性を入れてしまうと、特定の時代背景で特定の思想をもった人にしか理解されず、
歴史の波をくぐり抜けて生存することはできない。精神性は音楽ではあくまでヒントの一つであって、
抽象化されてなければならない。文化・時代を飛び越えて理解されるためには、精神性はマイナスになる。
また、絵画をみて心揺さぶられる経験は、何らかの意味づけが根拠となっていると思う。
想像力の産物であることは音楽と同じだが、絵は、ある意味音楽とは逆。
具体的なものしか描けない。頭の中で抽象化する作業が必要。
マリアならマリア、キリストならキリストしか描けない。つまりこの場合、宗教に従属した表現になる。
絵画でも、意味づけをしない抽象的な芸術というのもあるが、あれで涙する人はいるのだろうか?
感情を伝達することができるのだろうか?
ここから得られる想像は、単に妄想とも言っていいものだと思うが。
絵や彫刻は、具体的だからこそ意味があるんだと思う。先天的な抽象的語彙・語感
をもつのは音楽だけ。
0688名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 01:16:58ID:fXDe/YLyそれでその芸術的価値は下がるの?
アートって、多数決ですか?
それとどうも「精神性」の定義がちょっと変だなあ。
(俺は別に"精神性好き"ってわけじゃないが)
「精神性」も言葉では語れない音楽の感動のある側面であって、
簡単に言葉で説明できないからこそ濫用されているんだと思うけど。
0689名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 01:24:06ID:fXDe/YLy忘れられた音楽は忘れられなかった音楽よりも価値は低いのでしょうか?
国境を越えて誰にでも理解されるつまらない音楽と、
一部の人にしか分からない素晴らしい詩ってのはありえないんでしょうか?
0690名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 02:31:10ID:QiiFLbUp価値の大小の問題というよりも、概念の上下関係。言語は、意味を含まなければ、言語じゃない。定義が必要。
つまり、手旗信号にしろ、約束事・コードがなければ意志伝達はできない。
「机」なら、どういうものが机か、意味・形・機能が共有されてないといけない。
概念が共有されるということは、同じものが存在するから可能。唯一のものは言語化できない。言葉は言葉で定義するから。
音の場合は、定義が必要ない言語。これにより、精神、人間性から独立できる。音楽以外の意志伝達は、
精神からは独立ではない。人間の考えから自由でいることはできない。何らかの精神活動から影響を受ける。
精神性の定義が分からないので本来なら如何ともしがたい。だから、「精神」と「性」だけの
語感だけで言っているのだが、精神は人間の心のこと。これを使って
様々な概念を作り出せる。自分は、人間がつくったもの、人間の意志が介在するものが精神だと思う。
人間の意志が入るということは、言語のように、特定の意味を持たざるを得ない。
この意味をもたしてしまったものは、普遍性を失うために、共通言語とはならなくなってしまうということ。
神様が視覚ではなく聴覚にコードを授けたのは、単純に人間には光の受信能力はあるが、蛍と違って発信能力がないこと、
音は発信能力と受信能力を両方持っているせいだと思っているのだが。
0691名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 03:11:23ID:fXDe/YLy人間性から独立していることが音楽のメリット?
これは言葉の選び方の問題だと思うけど訳分かりません。音楽は非人間的?
それに自然の雑音と楽音を区別するだけでも精神の働きが介在してると思うんだけど。
0692名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 03:12:35ID:fXDe/YLy0693名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 09:06:51ID:QiiFLbUp>自然の雑音と楽音を区別するだけでも精神の働きが介在してると思うんだけど。
後天的な人格・言語とは別に存在できるということです。ドミソが協和音
なのは、お母さんや先生からそう習ったからではなく、生まれながらにして決まっています。
雑音と楽音の区別に精神は要りません。美しいものとそうでないものの認識に知識や経験や個人的嗜好、つまり個性は介在しません。
波長の関係性だけで決まっています。もちろん、実際の音楽はいろんなテーマ・精神性・個性を混ぜていきますが。
このテーマ・精神性が少なければ少ないほど、音楽としては価値が高くなる。
人間が生まれながらにして美しいと感じる割合が高いほど、クラシックとなり得る。
こうした点で、音楽は精神活動よりも上の概念だといえる。
人の生と死など、楽しい、悲しい、というのを本当に表現できるのは音楽だけ。
それ以外の表現は言葉にしろ、記号を書いているだけ。その記号から受け手が精神を使って
翻訳する作業が必要。
視覚的に自然が美しい、というのと音楽が美しいのとは、全く違う。
自然の美しさは、自然と人工物を精神により見分けて、その後自然を美しいと言っているだけ。
自然と人工物を見分ける能力のない人には自然の美しさは分からない。
魚がおいしそうに見えるの、とかいうのも、単に食べた経験から言っているだけ。
0694名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 10:35:06ID:n0bv7tXPとりあえず
− 音楽が世界共通語みたいに言うのは間違い、つか少なくとも不正確。(純)邦楽、インド音楽、ガムラン
etc. etc.は西洋音楽の感覚や論理では必ずしも律せられない。ヨーロッパでも中世と今では協和感覚が
違うってのは有名な話。
− 抽象絵画でも十分感動する。でなければカンディンスキーやモンドリアンがあれだけの仕事出来たはず
がない。涙はしないけど、逆に芸術的感動ってのは泣けることじゃないだろう?
0695名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 11:10:00ID:NngFUw1Oおそらく、音楽評論てのは美術や文学の評論に比べて、歴史が浅い。用語も
美術や文学からの借り物であることが多いように思える。精神性という用語は
美術評論から借りてきたものかもしれん。イタリアの明るい、具象的な(ルネサンス
絵画にみられる)ものに比してドイツの美術は暗く、内面的な傾向がある。
それを音楽に応用したのだろう。
0696名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 12:06:52ID:mnYp1fhN0697名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 12:25:33ID:QiiFLbUp抽象絵画で感動する、というのは間接的に感動しているとしか思えないんだがなあ。
日常の視覚との関係性の中で理解してるだけのような気がするんだけど。
光に意味があるとは思えん。光量過多でまぶしい、近視で焦点が合わない、といったことには意味があるが、
それ以外に情報収集のディスプレー意外に意味があるとは思えんのだが。
もちろん、視覚の内容によって情報処理の方法は全く異なるが、これは人間の頭、精神が決めることだし。
赤は興奮、白は明るさ、といったコードはないはずなんだが。あくまで後天的なイメージ。
多分、これは人間には光は混ぜ合わせたものとしてしか認識できないからだと思う。
光は人間には一色として認識される。形なり機能なりで意味をつくるしかない。
それに対して、物理的に音は混ぜ合わせたものとして認識できる。各波長成分
の重ね合わせとして認識できる。つまり音色。これで、何人いようと、誰の声かを音だけで聞き分けることができる。
0698名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 12:35:52ID:mnYp1fhN理知的なんだけど暖かい光。
0699名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 22:16:14ID:fXDe/YLyドミソの三和音は聴きゃ分かるが・・・ベートーヴェンの音楽の構成は先天的な能力だけで分かるか?
美しいものとそうでないものの差は人によって全然違うし、むしろそこにこそ個性が出る場面だよ?
人は音楽を無意識で聴くわけではないし、ましてや作曲家は無意識に作曲するわけではない。
ベートーヴェンはもちろん、バッハの音楽もモーツァルトの音楽も妄念と欲望のてんこ盛りだよ。
あなたの言うことは物理現象としての「音波」には当てはまるけど、芸術作品としての音楽には
とても当てはまるとは思えないよ。
0700名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 22:18:20ID:fXDe/YLy0701名無しの笛の踊り
2008/01/14(月) 23:33:38ID:n0bv7tXP音楽の最高の価値は人格にはよらない、って考え方はあり得ると思う。
一流の音楽家でもその作品なり演奏なりは百発百中とはいかない。本人のコントロールできない
様々な条件がうまく揃って初めて名曲や名演になる。それを霊感とかミューズの恵みとか、
2ちゃん用語では神の降臨なんて言うわけで、つまりは人格を超えたものだ。
あるいは人間的にヤな奴でも作品はすばらしい、とか、逆に皆に尊敬される人格者でも芸術家
としてはいまいち、とかいうケースは容易に想像できる。
>>693
ヴァレーズは騒音だけでも音楽が作れると主張し実行した。
シュトックハウゼンはホワイトノイズと純正弦波音を一つのスペクトルの両端のように考えた。
どちらも精神の働きだ。
精神が働かなければ楽音も音楽にならず、働けば騒音も音楽になる。
0702名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 00:50:31ID:mx0L9ojy>精神が働かなければ楽音も音楽にならず、働けば騒音も音楽になる。
俺もそう思う。
ただ上の人にとっては、精神が働けば騒音も音楽になる、どころか
人間精神が関与する音楽は精神の関与ゆえにレベルの低い音楽になる、ということみたいなんだよ。
だから人間の精神が一切働いてない音楽で、価値ある音楽って現実にあるのか、って訊いてみたかったんだ。
0703名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 02:26:44ID:4bMuk/Sa>ドミソの三和音は聴きゃ分かるが・・・ベートーヴェンの音楽の構成は先天的な能力だけで分かるか?
言語能力の問題だから、分かる人と分からない人がいる。先天的に分かる人もいる。
後で分かるようになる人もいる。分からなくても精神性・人格の高低とは
何の関係もない。
その人の音楽性・音楽的才能・音楽的能力だけで決まる。
ちょっと表現が悪かったが、音楽は先天的な人類の共通言語というより、人間の
精神が届かない神様が作って人間に授けた言語、の方が近い。
>美しいものとそうでないものの差は人によって全然違うし、むしろそこにこそ個性が出る場面だよ?
その通りだと思う。音楽言語は共通だが、誰一人として同じ音楽性を持ってる人はいない。
似てる人はいるが。ただ、これも音楽上の個性。人格とは関係ない。
音楽言語と音楽性の関係は、通常言語と人格との関係と同じ。
言語は共通のものを使っていても、思想・信条はみんな違う。
0704名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 02:33:01ID:4bMuk/Sa>ない。ベートーヴェンはもちろん、バッハの音楽もモーツァルトの音楽も妄念と欲望のてんこ盛りだよ。
クラシック音楽が、クラシック音楽たりえた理由は、聞く方が何か具体的な精神性を
想像しながら聞いた歴史ではない気がするんだ。感動したい、感動した、また聞きたい、
それだけの理由だと思うんだよな。演奏する方も同じ。弾きたい、ただそれだけ。
古典だからでもなく、ロマンだからでもないと思うんだよ。もしロマン主義だから
聞かれたんだったら、ロマン主義が終焉した時点で聞かれなくなる。ドイツ固有の
思想・哲学だったら、日本では演奏されない。
現在聞かれているのは、その時代を反映したものではなく普遍性があるから聞いているはず。
現代音楽などに多いと思うが、精神性の高い楽曲はいくらでもあるはず。
音楽だから別に表現は自由なんだが、そうした歴史の選択で残ったものだけを、
単に多くの人が聞いているからという理由で取り上げ、それを自分で特殊な方向性を
持たせていることが良いことだとは思えないんだよな。本当にその曲が精神性を表現して
いると感じたなら、その曲だけに当てはめるべきもの。例えば、宇宙を表現しているものに
精神性を当てはめるのは、クラシックを否定していると思う。
0705名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 05:15:49ID:+TXeyXzA理屈が曖昧になってしまっている。感動とか普遍性という言葉は精神性と深く関わっている。
精神性を創造者の内なる視線、主観と考えれば、あらゆる芸術は創造者の内なる視線を通さずに
どうして、芸術作品が生まれてこようか。現代音楽などまさに内なる視線が向けられた結果ではないか。
また君の理論でいつもおかしいと感じるのは、精神性を認めない様でいながら、精神性の高い曲はあるはずなどと
述べて、一方で否定していながら、他方で肯定するかのような素振りをする、これは混乱を招く。
宇宙が内なる視線とまったく切り離されているという議論もおかしい。その宇宙を表現しようとする
創作者は自己の外を取り巻く宇宙を彼自身の内なる視線を通して、表出するのだ。
むしろ宇宙を表現しようとするなどという行為こそ精神性の働きそのもではないか。
0706名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 07:44:23ID:Q0w7BUPtそもそも音楽の精神性を否定するのは音楽の文化藝術性の否定と同義。
それはつまり音楽そのものの否定である。
0707名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 07:47:42ID:GteLMdO1は定説といえよう。
0708名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 08:46:29ID:4bMuk/Sa今、誰かが作曲すれば、内なる視線を向けて音楽が作ることができる。
上で騒音が音楽だというのもあったが、音楽は個人から生まれるから、
作った人が音楽と言えば音楽なんだよ。まさに個性、精神の塊、知性・教養・精神性の
表明、具体的なもの。でもこれでは多くの人の心に響かない。
歴史をくぐりぬけたクラシック音楽は、その楽曲が具体的な精神をもたない外からの視線だから
クラシックになりえている。ここが他の芸術と違う点。人々が聞きたいと思うからクラシック。人間の精神活動とは関係ない
音楽言語に則って書かれているからクラシックになる。協和音などの和声、ソナタなどの形式などに
よる音楽原理をうまく使いながら作られているが、精神とは別のところにあるもの。
音楽は、ある感情を活性化させるソフトのことでしょ。なぜその曲を聞きたいかと言えば、
感動するから。つまり、感情を動かされるから。音楽は人が作るしかないが、
ポイントは、感情は具体的なものじゃなく、抽象的なものじゃないといけないこと。
情熱にしても、音とした時に普通の人に響く自然法則に則った音じゃないとダメ。
自分の意志が入ったものはみんなに響かない。だから本当なら、作曲者は表題をつけることを極端に嫌うはず。
言語を当てはめた時点で特殊性が生じるから。精神状態が決まってしまうから。
音楽は精神状態を扱うことはできるが、精神状態をそのままクラシック音楽
にすることはできない。単なるヒントにしかなりえない。現代音楽がつまらないのは、
そのまま音にしてしまってるから。
クラシックは時代を超えてその感情を刺激し続けてきたわけだから、感動のためだけに音は作られるべき。
要するに精神性を高くするのは、クラシック音楽をCMに使って、意図と全く違う文脈で
流すのと似たようなもん。CMの場合には商品価値をあげるために拝借してる
わけだが、精神性を入れる人は、自分の思想・主義にあてはめることで歴史を歪めてる
ことになると思うんだよね。傑作は、自分に正直に思うまま演奏する、これ以外
ありえないと思う。これが精神性だというなら、いいんだけど。
0709名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 09:28:56ID:+TXeyXzA音楽が偉大なのは我々を取り巻いている時間と空間を人間自らの意思によって越える
超えることが可能だからなんだよ。空間をメロディーに、時間をリズムに変えることで
自己の中に自己の外にある時空からなる世界を取り込んでしまうからだ。
音楽は最初感覚に訴えるが、そこで止まっちゃ芸術じゃないよ。
現代音楽が自然法則にあえて逆らうのは人間が自己を取り巻く自然に対して
自己主張し新たな美を生み出すという意味で、まさに芸術じゃないか?
現代音楽の作曲家たちは延々とバベルの塔のレンガを積み上げるんだよ。
0710名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 20:04:06ID:VsDHsP7l茂木のクオリアみたいなもん(あれも上の議論と似た感じだなw)。
0711名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 20:05:31ID:4bMuk/Sa音楽上の個性のことでしょ。作曲・演奏・歌唱など、音楽において発揮される個性。
音楽は人間の抽象的な感情・気持ちを表現するものだから、音楽における音楽性は、
必然的に人間における性格・人格・精神性と同じ関係になる。
誰にでも尊敬される人がいるように、誰にでも認められる優れた音楽性がある。
含蓄のある人のように、聞いてすぐには理解されないが、何年後かにじわじわ理解される音楽性もある。
浅薄な人のように、始めは強烈でも、飽きやすい音楽性もある。
また生まれつき、快適な音程を取れない人もいる。身体障害者が劣った人格では
ないのと同様に、ピッチやリズム感が悪くてもすごく魅力的な音楽性の人もいる。
これらの音楽性は、抽象的な、人間の気持ちを表したもの。具体的な気持ちではない。
人間は、他人の感情を活性化することはできない。
他人を怒らせるのは、その人が本当に怒っているから怒るだけ。
音楽以外の文学・芸術も、単に連想力で怒りを感じるだけ。
音楽では、外部からの入力で、本人が音楽言語を理解することにより抽象的な怒りの感情を活性化することができる。
0712名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 21:59:49ID:mx0L9ojy0713名無しの笛の踊り
2008/01/15(火) 22:02:25ID:+FLNhXro精神性が15%ほど向上した。
0715名無しの笛の踊り
2008/01/16(水) 02:48:00ID:cVNeuDAK>超えることが可能だからなんだよ。空間をメロディーに、時間をリズムに変えること
>で自己の中に自己の外にある時空からなる世界を取り込んでしまうからだ。
クラシックの名作は空間表現を行っているのは確かだね。ただ通常の意味での「人間自らの意思」ではないと思う。
バッハやモツからは聞こえないし、ベトにしても何かキャンバスに絵を描いて精神を表現してるのとは違うと思う。
ある種の絶対性、必ずそうでなければならない時間と空間を規定しているのであって、これがクラシックとなっている理由。みんなが聞きたい理由。
現代音楽のように自らの意思で、つまり精神性で時間と空間を規定した音楽はクラシックではない。
あと、細かいことを言うと、音楽では時間と空間は独立ではない。メロディーとリズムも独立ではない。
両者は同時に表現される。空間がメロディーというわけではない。
>音楽は最初感覚に訴えるが、そこで止まっちゃ芸術じゃないよ。
もちろん。ただこれは、ほとんどの人が感じているから自明だと思う。
>自己主張し新たな美を生み出すという意味で、まさに芸術じゃないか?
現代音楽が何をやろうといいと思う。現代音楽は自己主張だと思う。
今問題にしてるのは、クラシック、つまり歴史に残った音楽、常に求められ続けた音楽とその演奏の精神性についてだから、それを問題にしてるんだ。
自分が作ったスコアじゃないんだから、つまりみんなが使う公共施設のようなものだから、これを自分が使う場合は歴史に対しての謙虚さが必要だよ。
それは、多くの人が聞きたがったこと、心揺さぶられたことであって、精神性ではないと思うんだ。
個人的には、自己主張をして新たな美を生み出すのは音楽以外の他の芸術だと思うんだけどね。
音楽には色んな音楽があって、自己主張する音楽もあるし、これもいいとは思うけど。
でも、アニメというファンタジーと一体化するアニメ音楽と同じように、単なる1ジャンル。
歴史の選択を受けた音楽とは意味あいが全く違う。
0716名無しの笛の踊り
2008/01/16(水) 05:09:24ID:e3MWHU4o例えば、ポップミュージックの今の流行というのは何度も何度も繰り返されたメロディーが
我々の頭の中に染み付いてある種の普遍性があるかの如く錯覚されることがある。
クラシック音楽にしてもたまたまある音楽が繰り返され今残っているだけなのかもしれない。
あるいはクラシック音楽というのはある程度教育の成果によって耳が馴らされているということ
(アフリカ原住民があるいは江戸時代の日本人がクラシックを美しいと感じただろうか)
また教養としての、権威的な、上部階級が自らの地位を保持するための記号として優れたものである
としたということが未だにその影響を残している部分もある。
だから問題に思うのは、感動を呼びおこす音楽性というのは本当にそれだけで
存在するものなのだろうか、単純にクラシック音楽を美しいもの、歴史に耐えたものと呼んでいいのか
ということだ。
考えてもみよ、クラシック音楽の父がバッハだとすればその歴史などたかだか300年余りではないか。
0717名無しの笛の踊り
2008/01/16(水) 07:52:20ID:GJK6aX2N0718名無しの笛の踊り
2008/01/16(水) 10:47:33ID:IfAplQWW0719名無しの笛の踊り
2008/01/16(水) 12:53:23ID:rF5b7i9v0720名無しの笛の踊り
2008/01/16(水) 20:19:14ID:R3m8mf44というのが一般的らしいが、例えばピアノやバイオリンでは誰が精神性が低くて
誰が高いの?それとも交響曲・管弦楽曲の演奏だけに言えることなのか?
ポリーニ・アルゲリッチ・アシュケナージの精神性はどうなんだ?
全く見当もつかんのだが。
ていうか、器楽演奏の場合には自分の演奏だから、精神性はいくらでも高くも低くもできると思うが、
交響曲でどうして精神性が低くなったり高くなったりするの?
オケのことはよく分からんが、指揮って視覚と言葉だけで音楽を作るわけだから、指揮者の精神性が
演奏者の精神性に乗り変わるのは想像できないんだが。あくまで音楽性・音楽表現
が乗り移るだけであって、なんで演奏の精神性が指揮者の精神性と関係あるんだ?オケの精神性ならまだ分かるが。
それとも指揮者って催眠術師や宗教指導者みたいなもんなのか?
だったら、音楽なんか聞かないで、練習を見せてくれた方が、最高の精神性が感じられると思うのだが。
0721名無しの笛の踊り
2008/01/17(木) 23:32:49ID:6gsHiChm>我々の頭の中に染み付いてある種の普遍性があるかの如く錯覚されることがある。
>クラシック音楽にしてもたまたまある音楽が繰り返され今残っているだけなのかもしれない。
繰り返しが音楽・感情と密接なことは明らかですね。古典音楽だけでなく、
POPSもカノンと呼ばれる進行が多くの人の心を打っているのはよく知られていますね。
売り上げのために故意に入れるのは頂けないが、反則ではないので仕方がない。
これが頭に染み付くのはたまたまではありません。
精神性とは関係なく、カノンという語法は誰から習うわけでもなく、先天的に存在するもの。
古典音楽のカノンを聞いたことがなくても、理解できます。
これが、音楽言語。音楽の楽器の形式が違っても、時代が違っても、
楽器ではなく歌に変わっても、同じ言語が使われる。
枕草子や源氏物語は今の言語と違うし、当時の文化を理解しないと理解したことにならない。
古語の勉強をしないで理解する人はまずいない。たとえ理解したつもりでも、単なる想像でしかない。
反対に、音楽では、音楽だけを理解すればいい。つまり感動しさえすればいい。
だから、クラシック化するのは現代音楽ではなく、POPSの方。Aメロ・Bメロ・サビというのは形式。
単に演奏時間だけで決まっているわけではなく、これも音楽言語の語法。ソナタみたいなもん。
POPSがクラシック化するかどうかは、これからもみんなが聞き続けたいかそうでないか、だけで決まる。
電気楽器を使っていても、踊っていても、人気グループかどうかも関係ない。
1〜2週間のチャートでは、CMのタイアップ曲かどうか、人気ドラマの主題歌かどうかが
大事だが、何十年も経った後では、そんなこと知っている人はまずいない。歴史的な音楽の価値は
音楽だけで決まる。
0722名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 01:38:21ID:bjRigboJそんな単純な話じゃない
0723名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 01:43:49ID:p/ADAXoU金とタマキンのベト本でもいくつか触れられてるが、
精神性とそれに対する反論が述べられているようでおもしろそうだ。
0724名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 01:59:22ID:p/ADAXoU作曲家の意図に接近しようとするなかで、
楽譜の拡大解釈がひろがってしまったってことでないかな?
歴史的な名演を否定することではないが、今浮き彫りになってるのは、
楽譜を忠実に読み取ると、ベトやブラは思っていたほど大袈裟なものではなく(曲のスケールは大きいものが多いと思うよ)、
モツやハイドンなんかは結構劇的なものだったりするんでない?
0725名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 02:39:27ID:lVN7BaUfこれをコピーするためには、サザンの精神性を理解しないといけないのか?
当時は下品きわまりないバンド、めちゃくちゃという評価だったわけだが、
今サザンからそういう精神性を見出だす人はいない。そういう音楽は、
それまでの歴史上存在しなかったから人々は魅了されたのであって、
あの濁声がサザンの音楽そのもの。崩したリズム感がないとサザンじゃない。
下品か、上品か、反社会的か、体制側か、そういったことで聞かれた
音楽ではない。歌詞に卑猥で下品な所があったとしても、それと音楽とは何の関係もない。
ベトも多分、こんな感じだったんじゃないかな? 自分の音楽を突き詰めると、
その方向性が勘違いされて、宣伝文句に使われたところが多分にあると思う。
0726名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 07:04:59ID:bjRigboJそのときの時代背景をもろに受けやすいと思うが。むしろ音楽性そのものの純粋性
というのは今の時代まずないといっていいと思う。
それにポップスは歌詞として音楽に言葉が加わることからもうすこし複雑になる
と思われる。
0727名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 07:46:11ID:QenAgYfE0728名無しの笛の踊り
2008/01/18(金) 19:50:24ID:bSWcWqmtつまり精神性とはサイヤ人みたいなものだといえよう
0729名無しの笛の踊り
2008/01/19(土) 00:12:25ID:8+/NI4vr>そのときの時代背景をもろに受けやすいと思うが。むしろ音楽性そのものの純粋性
>というのは今の時代まずないといっていいと思う。
その通り。そうした時代背景を受けやすい音楽ですら、10年も経てばその精神性の評価は
がらりと変わり、それに付随する精神性は消滅し、音楽だけで評価されるように
なるという例なんだ。ましてや、商業性が薄く、タイアップも少なかった時代の音楽が
何百年も生き残っているのは、紛れもなく、音楽が優れているから、楽曲が優れているから。
>歌劇は精神性ゼロといえよう
普通に考えて、歌劇はヨーロッパの中世の芸術だから、
ヨーロッパの歴史とか文化と、それの基礎となる精神が宿ってるし、
演奏の際もこの精神と精神性が必要だと思うけど。交響曲・器楽曲とは逆。
やっぱ誰か精神性を定義してくれ。どうも分からん。精神性って俺は人間の精神活動を司る本体のことか
と思っていたのだが、違うようだ。音楽を演奏する時には絶対的にあった
方がいいものなのか?特定の音楽だけにあてはまるの?
0730名無しの笛の踊り
2008/01/19(土) 02:10:03ID:bIUpLifNかなり遅い〜速すぎない。
重い〜軽くない
緊張感、緊迫感のある。
どれかは必ず当てはまる気がする。
大体作曲家で精神性って言われてもね。
演奏の仕方一つでどうにでもなる気がする。
精神性第一人者wのブルックナーでも
ヘレヴェッヘのはだめなんだろ?多分。
0731名無しの笛の踊り
2008/01/19(土) 22:46:22ID:N8Uhsc8s深みが出ることを忘れちゃ困るね。表現芸術なんだよ。
演奏者は曲に自分のイメージを投影させなくてどんないい演奏ができるというんだ?
知的で冷めた演奏が今は流行りだが果たして表現としてどれだけ面白いか疑問だな。
目に見えないことを信じることが(時には狂信的なまでに)不可視の芸術を高めるんだよ。
また、精神性とかいう概念はそうそう日本の一聴者には理解ができないものかもしれぬ。
用語は確かに曖昧だ。しかしそう簡単に悟性で認識できるものではなかろうと思う。
0732名無しの笛の踊り
2008/01/20(日) 00:26:34ID:QCc0rPTB一切否定するものでもなかろう
0733名無しの笛の踊り
2008/01/20(日) 18:07:06ID:/g3roJ85精神性の定義は文字通り精神的な性質だと取っておけば?
精神的と言ってもこの場合単なる生理的な脳活動は指さないが。
>音楽を演奏する時には絶対的にあった 方がいいものなのか?
自分で言ってる通り精神性が無くても音楽の価値が全く消滅するわけではないんでしょ。
>>731
その表情や深みとかって音楽性とか美的性質だろ?
簡単かどうかの前にそもそも悟性で認識するものじゃないじゃん。
「目に見えないことを信じることが〜」というのは解るが、
面白さで判断したら高まるのは芸術の価値じゃなくて自己の快的意識だけだろ。
0734名無しの笛の踊り
2008/01/20(日) 19:33:43ID:KaarJG2r0735名無しの笛の踊り
2008/01/20(日) 23:00:10ID:qcgb/hMr精神的な崇高さがあったってこと?精神的な優秀さ、人格があったの?
例えばどんな逆境にも強い精神力で乗り越えたとか、一切の堕落から程遠い存在だったとか、
一度も平静さを失うことはなかったとか、悪に対して絶対に妥協せず立ち向かったとか、無礼なふるまいを絶対しなかったとか、そういうことなのか?
それが音楽から聞こえるの?俺には全く聞こえないんだが。無駄な淀みみたいのがないとは思うんだが、
それと本人の精神の性質とどう関係があるのかよく分からん。
0736名無しの笛の踊り
2008/01/21(月) 01:11:27ID:EjcBTvQl少し違うと思う。つまりフルトヴェングラーその人の精神性だけで話が決まる
んじゃなくて、演奏する曲の特質としての精神性をよく表現し得ている、という
意味で言われているのでは? (俺がその説に賛同するということではない)
フルトヴェングラーの演奏でもたとえばストラヴィンスキーの「妖精の接吻」
の場合は精神性が高いなんて言わないんじゃまいか。
0737名無しの笛の踊り
2008/01/21(月) 01:23:21ID:qZGw8jyBあんな演奏になるとは思えない。
勿論いい演奏だけど。
もっとハチャメチャでしょ?ベートーヴェンの精神は。
>>730の言うように演奏の仕方な希ガス。
で、そのように演奏しやすい曲があると。
0738名無しの笛の踊り
2008/01/21(月) 07:43:43ID:r6RJhrvHまた、何かリーダーシップがあってみんなをまとめる能力がある人が、音楽的な才能があるケースは
ほとんどないように思う。また別の例として、みんなが特別な感情を抱くような傑作を書く人が、
覚せい剤をやっていたなんて例も腐るほどある。思うに、精神性が低くて音楽性が高いほど、
傑作を書く率が高いし、名演を奏でる率も高い気がする。常人と違う輝きは、オリジナルな発想からしか
生まれない。精神性が高ければ高いほど、凡才ということ。ベトやモツがそんな高い精神性を持っていたとは
思えんのだが。むしろ変人・変態でしょ。いかに常識にとらわれない感性があるか、音楽性があるか、それだけ。
0740kyrie@脱KY中 ◆.RYdSpBfEI
2008/01/23(水) 12:23:44ID:Co2orebn人生経験がそのまま反映する文芸とは違う。
その人の倫理観が直接に音楽性に結び付く、つまり元来言葉でしか語れないし
理解もできない倫理と、音楽性とが同期するなどということは考えられないことです。
これは音楽を貶めているのではなく、むしろ讃えているのです。
概念形成以前の混沌を表現しているわけですから。音楽は。
0741名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 17:01:14ID:/7Y6Fm3kいや、概念形成以前として音楽を聞くなよw
0742名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 17:30:07ID:y2VHRQgXではトルストイは音楽に勝手な幻想を抱いていたわけですね。
で、形式や和声の規則、などなどは何故存在するのでしょう?
0743名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 17:37:49ID:ST5uuTAO聞く側はどんな幻想を抱いてもいいと思うよ。
作る側は、そんな幻想を抱かすために技(作曲テクニック)を駆使するわけで。
演奏時は、そんな作曲家の意図を感じ取り、どう表現するかが鍵。
作曲時、演奏時に気持ちが入っているかどうかは本人のみ知る事であり、
聞く側にとっては余り関係の無い事のように思う。
0745名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 19:04:41ID:lIji+m0w数学の定理みたいなもん。自然法則として決まっているもの。
ピタゴラスやガウスの原理・公式・定理に精神性はないし、
精神性を高めても数学を理解することにはならない。
音楽なら作曲過程、数学なら思索過程において精神はヒントとして必要だけど、
出来た音楽、数学なら定理や公式は精神性とは全く関係ない。
自然法則だけで決まっている。
どれだけ貴重な定理を発見するか、音楽ならどれだけ普遍性のある傑作を書くかは、
数学性・数学的才能・数学的能力だけで決まる。精神性はいらない。
基礎数学が自然法則を記述したものであるのに対して、
絶対音楽は人間の感情を記述したものというだけ。精神性は邪念・邪魔以外何者でもない。
0747745
2008/01/23(水) 19:51:40ID:r9aJjwek休むことなく、往復しています。AはP地点を毎分700mの速さで、BはQ地点を
毎分300mの速さで、同時に出発しました。次の問に答えなさい。
(1)出発して、2回目に、A、Bが同じ地点にくるのは、出発して何分後ですか。
(2)出発して、5回目に、A、Bが同じ地点にくるのは、出発して何分後ですか。
(追加設問)(3)出発して、100回目に、A、Bが同じ地点にくるのは、出発して何分後ですか。
この問題を解けない人は今日からクラを聴くのはやめましょう。
0748名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 20:27:37ID:lIji+m0w駄曲は別。数学なら、つるかめ算のような具体的な計算は別。
数学も作曲も傑作を書くためには抽象化、つまりどれだけ具体性を排除できるかにかかっている。
精神性・人格をいかに排除して数学や音楽の言語だけで考えられるかが重要。
通常の芸術とはかなり趣きが異なる。発想・閃きが大事。常識から自由でいられるかが重要。
当然、音楽家は社会システムの枠にとらわれない非常識な人が多くなる。
xはエックスであって、具体的な数字ではない。それと同じように、クラシックも
ある曲は具体的な精神性を表しているわけではない。抽象的な感情を示したもの。
劇音楽やCMソングなどは別。具体的な劇や商品と一体化したものとなるかが
重要。精神性なくして音楽は成り立たない。
0749745
2008/01/23(水) 20:36:51ID:r9aJjwek全ての歌曲を音楽とは見なさないことです。
0750名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 21:12:35ID:87TZOxrjただし個人的には晩年の録音に純粋に美学的な究極の精神性を感じるのですが。
0751名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 21:27:15ID:j7bv5l3G技術の極まるところに、何かしらいわく言いがたいあるものが現れてくるのもまた事実だ。
音楽であれば、バッハのフーガの技法や、モーツァルト、ベートーベンの後期の室内楽など。
単なる音楽センスで済ますことはできぬ。「精神性」とは、明快に定義できぬ言葉ではあるが、
なにかしらそういうものを考えなければ、芸術とは虚しいものとなるだろう。
0752名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 22:02:28ID:ZiZuypayそれぞれの空間は相互作用して感情・感動でつながってはいるが、別次元、独立。
つまり、感情・感動だけが2つの言語空間で互いに翻訳可能であるということ。
思考すればするほど、音楽的能力は衰える。言い換えれば素直な気持ち、というやつがなくなっていく。
もちろん、素直な気持ちを持ち続けたまま理性が大きく育てばベストだが、基本的には相反するもの。
音楽家にとっての最大の敵は常識・既成概念。つまり思想・信条といった精神性本体。
人間は当たり前のことには感動しない動物。
社会でもまれればもまれるほど、ものごとを疑う気持ちが強くなる。
汚い側面を理解するようになればなるほど、感動をそのまま受け取ることができなくなる。
感動・気持ちに鍵をかけるのが精神。人間がつくったルール、規範。
これらが獲得言語でしか語れないのと同様に、別空間である音楽的空間は音楽でしか語れない。
だから音楽にはウソがあってはいけない。自分の感情と異なる音を出しては
いけない。精神で塗り固められた音楽は音楽ではない。
音楽は共通言語としての定義をもつ絶対性があるから音楽。
精神性を表現した音楽も人間が作った人工物。精神が見えた時点で音楽は単なるツールでしかなくなる。
モツやベトが意図した音楽とは違う。絶対的な音楽、クラシックはあくまで感情を活性化させるためのもの。
それぞれの傑作は、感情の種類こそ異なるが、普遍的な音楽的空間の定義を記述したもの。
0754名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 22:07:08ID:gtKT2Izo我々が音楽の属性として "音楽性"という概念をとりあげることはできる。
しかし今こうして議論があることからもわかるように、あらゆる物事に対して
我々は言葉を用いてでしか伝達できず、またあらゆる物事に対して概念を
付与してしまうものなのではないか?
またそういう仕方でしか音楽でさえもとらえることが出来ないのではなかろうか?
人間を人間たらしめているところのものはそういった概念や言葉であるとすれば、
人間の生み出すあらゆる芸術作品は言葉によって語られることは免れないのではなかろうか。
かりに純粋な音楽性というものがあるにしろ、概念を付与することでとらえどころのない
音楽に性格が与えられるのではないか?ベートーベンが今まで残ったのはその音楽性もさること
ながら、不幸な境遇を乗り越える意志の力、貴族のお抱え音楽師から脱却し、芸術家として
一人立ちしていく独立の精神、ブルジョア階級の台頭といった時代背景などといった要素もあった
ことも影響している。しかしそういった精神がその音楽に全く影響を与えずに純粋な音楽性のみが
彼の音楽をそれたらしめているというのであればなんと音楽などつまらないものであろうか。
0756名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 22:27:00ID:a94degRA0757kyrie@脱KY中☆ ◆.RYdSpBfEI
2008/01/23(水) 22:49:53ID:R1+WxnNbそういう風に概念を「便宜のために」増やしていく、やり方は哲学らしくないな。
同様にハイデガーみたいに、形而上学を謳いながら、常に経験的所与とにらみ合わせたような哲学もいや。
貴方に従えば、音楽に限らず、ナニカについての空間が、そのナニカの数だけあることになってしまう。
しかも心を空間に還元するのは、分かりやすい方法だが、安易。
0758kyrie ◆.RYdSpBfEI
2008/01/23(水) 22:56:50ID:R1+WxnNb>>745を否定したいわけで。
理論だけで音楽は確かに成り立っている、結果としては。
しかしその理論は、純粋数学と違って手段に過ぎず、表出される、それも発明のように人間の便宜に合わせる
必要が全くない(もちろん売れるような曲を作らなければならない、というのはあるが)
和声の連結にしても、まずその人の持つ連結の仕方の、多少なりとも精神的な要素―感性でもなんでもいい
が理論に先行しないと、その理論を実践することができないのでは?
貴方の言っているのは、音楽の理論上の発展の面だけで、実際的に作曲家が作曲する過程を全く無視している
0759名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 23:01:33ID:a94degRA0760743
2008/01/23(水) 23:08:40ID:ST5uuTAO話が混乱しちゃうよ。
自演ならともかく、
どんな曲でも演奏者が違えば、事実違う音楽になるわけだし。
その精神性とやらを表現しやすい曲、表現しにくい曲は有るのだろうけど。
>>743
勿論。それが無いといい曲なんて書けないよ。
>>751
気持ちは分かるけど、
自分の全く好みで無い演奏にまで「精神性」を感じれるん?
>>754
必要の無い情報を加味しないと、感動できない音楽なんてつまらないと思うが。
0761名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 23:23:05ID:y2VHRQgX最初の君の話からずいぶん飛躍したな。
0762名無しの笛の踊り
2008/01/23(水) 23:34:31ID:j7bv5l3G概念を想起させるが、これはどうか?
作曲者の精神性の一つの現われではないのか?
0763名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 00:13:28ID:lae8WXI1言葉遊びしてても仕方ねえわ
0764名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 01:33:26ID:kYSZwotRさらに精神というあやふやな言葉に「性」なんてつけて
こんなもん「ある」なんて証明できる奴は詐欺師にでもなればいい
0765名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 07:51:48ID:6VMcdgfG君は青い。芸術について語るとは、およそ主観的で曖昧なものであろう。
それを納得して議論に参加しているのではないのか?
0766名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 08:57:14ID:MY7P9LV6>一つの例として、モーツァルトのハ長調は、聴き手に、調和・秩序・均衡といった
>概念を想起させるが、これはどうか?
>作曲者の精神性の一つの現われではないのか?
調和・秩序・均衡は楽曲だけから決まっている。調和・秩序・均衡は精神性と同じように、モツの曲が示した意図ではない。
ドミソは協和音、調和だが、曲の終わりがドミソであっても調和して終わったこととは違う。一度で終わることが絶対だから一度で終わる。自然法則で決まってる。
絵画や彫刻などの芸術で調和・秩序・均衡を表現するのとは違う。これは作者の世界に対する個人的な解釈。
音楽製作の際には人間の活動だから精神から逃れることはできけど、できたものは精神性とは関係ない。調和・秩序・均衡が感じられても、
それは具体的な精神性、個人の解釈。もしモツから秩序だけを抜き出したら、凡演になる。あくまでも抽象的・絶対的な美を表現したもの。
我々がモツを聞くのは美しいから。美しいからクラシック。
0767名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 09:33:19ID:6VMcdgfGその何らかの反映である。音楽も例外ではない。
音楽の場合は、和声理論や対位法などの楽理が存在し、それに対して音響理論のような
自然科学的なアプローチも可能というだけである。
>>766 は、それを音楽の本質のように捉えているが、甚だしい誤解である。
原始における芸術の発生状態を考えてみるが良い。芸術衝動が学理に先んじていることは
明白である。
0768名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 14:40:13ID:atn72tlHそんなもん芸術の定義で変わるだろ?
クラシック音楽が芸術かどうかも定かではないのに。
0769名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 20:16:06ID:7syzgX8aフランス語がわからない人、普段使っていない人には
ボードレールとかマラルメとかわかるはずないよ。
でもね
ヴェルレーヌだったかね、上田敏の訳を読んだときに、あぁ、これは良い詩だ
世にこんな素晴しいがあるのかと思ったよ。
当然、他の詩人も良い和訳がでれば感動するだろうw
0770寒山&拾得 ◆FnC.zD6HuI
2008/01/24(木) 20:19:52ID:FZp0tSBl精神性の定義、キリスト教では愛であり
仏教では慈悲だ。
0771名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 22:44:58ID:sIYS1s/Z言い切れないだろう。確かにこれらの音楽は音楽的に美しい。しかしそれだけでは
なぜ我々は個々の音楽を美しいと感じるのか説明することを諦めてしまうことに
なるのではないか?あえて説明しようとしてとりあえずの表現として精神性という
言葉を持ち出したのかもしれない。この精神性という言葉の存在そのものが音楽を
言葉で言い表すことの困難を示している様に思える。
0772名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 23:21:10ID:6VMcdgfGというものだ。これは、ある周波数比率の2音が、協和して美しく聞こえるというのと
根本では同じ性質のことであろう。
音楽の場合、あつかう音の材料が12の音階に限定されたことが、高度な理論化・組織化を
可能としたのであろう。画家は無限の色彩の諧調を扱うが、故に理論化・組織化は不可能であり
従って、その色彩の秘密は、画家個人のものである内奥の作画動機に深く結びつく。
>思考すればするほど、音楽的能力は衰える。
>言い換えれば素直な気持ち、というやつがなくなっていく。
ロマン派の音楽家たちがどれほど言葉と関わってきたことか。ロマン派以降においても
たとえばドビュッシーがどれほど思索してきたか。彼は、マラルメの火曜会のメンバーだった。
「牧神の午後」は誰に捧げられたのか?
ドビュッシーにおいては、観念的なものに堕することからの逃亡の為の思索であったように
思う。そのような思索もあるのだ。
0773名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 23:39:50ID:MY7P9LV6だますことはできても、音楽的絶対性を持ち得ない。
クラシック音楽は、これまで生楽器でしか演奏されたものは存在してないが、これは決して偶然ではない。
人工的、例えば電子的に音楽を合成することはいくらでもできるが、これまでのところ、クラシックとはなっていない。
おそらく、どんな高い精神性が生まれようと、未来永劫、生楽器以外がクラシックになることはありえないと思う。
これは人工物から絶対的な音色、普遍的な音色を生成することはできないから。
樂理が決して精神的なものではないのと同様に、楽器も精神性とは別の世界に存在する音楽性の土台。
つまり、音楽上の定義から外れてしまうため。
精神でいくら音色をつくりだしても、クラシックな楽器にはなりえない。なぜベトのソナタは便利で自由度が大きいキーボードでなくピアノなのか、
音量をコントロールできるからではない。音楽的絶対性を表現するため。別にピアノが精神性が高い楽器だからではない。
ピアノに精神性はない。単なる無生物の道具。
0774名無しの笛の踊り
2008/01/24(木) 23:50:38ID:CCjYuCP50775名無しの笛の踊り
2008/01/25(金) 12:01:37ID:25w3q6Al精神性云々とは全く別の問題。
0776名無しの笛の踊り
2008/01/25(金) 20:40:14ID:m8mNuddq君は音楽以外の芸術には精神の関わりを認めているようだけど、その理屈なら
全ての文学や美術は、繰り返しに耐えられないことになるけど、君の体験からも
そうなの?
それから、前のレスで書いたロマン派の作曲家やドビュッシーの例なんかは
君はどう思っているの?
回答求む。
0777名無しの笛の踊り
2008/01/25(金) 22:47:45ID:/0fD/wc5音を並べるだけで音楽は確かに作られる。しかし美しく聴こえるように意図して
その音楽を作ろうとしていることは精神性という曖昧ではあるがそういう概念に表される
ものの働きがあると思うのだが。バッハにしてもそうだ。バッハがフーガの技法を作曲した
ことは、純粋に一つのテーマから発展させて楽器の音色にかかわらず、音そのものだけで
曲をつくりだそうとするその意図、意志が精神性なのではないか?
0778名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 00:00:34ID:B9KnZ7Z/フーガが展開されてゆくが、その技巧の極まるところに、なんとも言えぬ深い情緒性が
現れてくる。
芸術とは実に不思議なものではないか。
0779名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 00:42:00ID:17jXDTSS0780名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 01:05:42ID:WyYI3XrQ音楽芸術の対象にしてないの?
微分音の存在する音楽なんかどう考えてんの?
ペルシア・アラブ・ガムラン等と体系も整った音楽は無視?
西洋音楽に慣れた耳にはそういうところの音楽を、
彼らの耳とは全く違ったものとして聞いているんだけど
それは「音楽の絶対性」からどう説明するの?
0781名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 01:26:22ID:ka5FDvzv0782名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 02:20:34ID:ihS540hOでも、ユークリッド幾何学のように、直感的に、歴史的に、認識上正しいものを
絶対とする上にクラシック音楽は成立している。それが楽理。それが正しいとする根拠は唯一、演奏者が演奏し続け、聴衆が音楽として
長い間に渡って聞き続けたという歴史だけだが。ひょっとするとアフリカの山奥の音楽が絶対音楽かもしれない。ただ証明する手段はない。あくまでも経験上のこと。
もちろん概念上は非ユークリッドも存在するが、つまりクラシックが個人の特定の芸術表現・精神表現と考えることもできるが、
かなり疑問ではなかろうか?
クラシックの絶対性は現実の歴史を踏まえて絶対だと言ってる。バッハ以前は多くの人に聞かれていない。
これらはどう演奏しようと、精神性を読み取ろうといいと思う。今は歴史という現実が確定した世界のことを
言っているのだから、精神性か音楽性かが問題になる。
人類の歴史は無数の曲を生み出したが、ほんのわずかの曲だけを
聞き続けるのは、そこに理由がある。絶対的な精神性の高低が大事ならば、
音楽は1曲だけがクラシックとなる。他は、生存する意味がなくなる。
また、もし個々の精神性を表現したものだとすると、同じ人のそれぞれの曲は何を
意味しているのだろうか?一人の作曲家が異なる精神性を表現したというのか?
もしモツが残した600曲のうち100曲がクラシックだとしたら、100の精神性があるのか?
そうではない。個々の曲は、それぞれが異なる感情を表現しているだけ。
つまり絶対的な感情表現の仕方が100通りあり、感動・美が瑞々しかったり、
流麗だったり、清廉だったり、それぞれ違う、ということ。
精神性がいくら高かろうが、駄曲は駄曲。クラシックではない。
0783名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 03:08:23ID:B9KnZ7Z/まして、多くの人が聴いた聴かないなんて何の関係がある。
もういいだろう。ほとんど言ってること滅茶苦茶だし。
0784名無しの笛の踊り
2008/01/26(土) 03:44:52ID:K1KPGl8g■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています