大蔵省陸軍担当主計官、企画院次長、理財局長を経て1939年在ベルリン特命全権公使、
その後満鉄副総裁として奉天で終戦を迎えた。
公使時代にはフルトヴェングラー(フ氏)とは公私にわたる付き合いをした。
A級戦犯として、4年刑に服した後、戦後は製鉄会社、商社の会長を経て慈善事業を掲げる
財団法人の総裁などを勤めたり、卓球協会の会長などを歴任した。参議院議員も一期勤めた。
麻布台に家を建ててすんでいた。妻には先立たれた。子供に恵まれなかったので養女をとったが、
ただならぬ関係とうわさする人もいる。

フ氏の精神性について伺うために訪ねて話を聞いた。

「フルトヴェングラー、ありゃへたくそだったね(藁)。指揮棒があいまいだからオケの音がおずおずとでる、
そのあいまいさが精神性とかいう文学的修辞に置き換わったわけだわな」