>>890
あはは、僕が「ロマン派の属性は調性 と言うより響きにあるみたいな観念をもっている」というのはまったくの逆です。
>>860で自分は後期ロマン派が調性という軸をよりどころにした機能を重視していたという点を挙げて、
その機能の反対者としてシェーンベルクが存在したということを言っている。
>>887でも「ロマン派的に響くからすなわちロマン派だ」という時々見る意見には賛同できないと言っている。
むしろ>>883さんが十二音技法開発より後のシェーンベルクが感覚的にロマン派にとどまっているように聴こえると言った(そんなニュアンスだよね?)のに対して、
響きの聴こえ方が問題と感じるのならば「"ロマン主義"の定義」bニいう一種の形試ァ上学的な問題=iこれは「"ロマン派の作曲家"の定義」ではありません)に踏み込んで(というより大昔に死んだ議論を蒸し返して)しまうじゃらそれはやめておこうと言ったわけです。

あと4行目以降に対する答えとしては(といっても今までの主旨の変奏や補足になるけど)、
たしかにストラヴィンスキ,ヒンデミット,ドビュッシー,エリック・サティ(かりに「すっきり組」と呼んでひとまとめにしておこう)と同列にシェーンベルクを並べることはできなくて、
彼らすっきり組のように「ロマン主義への対立軸」と言えるほどはっきりとしたロマン派との(それこそ音響的な)違いはシェーンベルクには見出せない。
そしてここですっきり組との明確な違いを挙げるとすればそれはシェーンベルクがヴィーンの徹底した伝統主義者よろしく音楽的にのみならず「歴史的に見ても(笑」アプリオリな規則を欲する点だったと思う。
(だからシェーンベルクがナイーブな伝統主義者だったという主張だったらむしろ僕はop.25を例に挙げて大賛成するよ笑)
だけどね、シェーンベルクもまた「機能の中身」は彼らすっきり組と同様に後期ロマン派のそれとは別物だったし、
まあこれも繰り返しになるんだけど「ええ!音列技法そのものすらも後期ロマン派由来だって言っちゃうのかい?(マスオさん風)」ってことさ。