クラウス=ペーター・フロール/悲愴 2S-004(2CD−R)¥4600

シュニトケ:真夏の夜の夢ではない
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
フロール指揮、北ドイツ放送響、ブッフビンダー(P)

ときどきこういう演奏に出会うから、こうしたCD−Rライヴ盤をまるっきり無視するわけにいかない。
クラウス・ペーター・フロール。CD屋にとってはすでに過去の人である。BMGからメンデルスゾーンやマルティヌーの素晴らしい録音をリリースしたのは遠い過去の話し。
名前を見たのは竹澤や仲道の伴奏指揮者としてのアルバムが最後だったかもしれない。
しかしこんなとんでもない「悲愴」をハンブルグでやってのけていた。低音をグリグリに響かしてのたうつような濃いメロディーを恥ずかしげもなく増長させ、こけおどしすれすれのティンパニで曲の輪郭をぎらつかせる。
しかしそのやりかたがどうみても正攻法。少しもあざとくない。何か変わったことをやってやろうという野心ではなく、もっとストレートで大きなものが全曲を覆う。これは一朝一夕、たまたまできた名演ではない。
第1楽章の嵐のようなすさまじさより、第2楽章のアダージョのほうが衝撃的で、それよりさらに第3楽章のアレグロが壮絶で、
もう満腹という状況で始まる第4楽章がそれまでのすべてをくつがえすほど重苦しく、地獄的で、絶望的。人間のもつ業や苦悩をここまで壮絶に描きあげた「悲愴」はかつてなかった。これほどまで聴く人を追い込まなくてもいいのに・・・。
これをライヴで聴いた人たちは翌日から普通に日常生活を送れたのだろうか。
全てが終わった後、観客が茫然自失に追い込まれ、拍手できないでゴクンとつばを呑み込む様が手に取るようにわかる。
細部でのアインザッツの乱れなど笑わば笑え(終楽章、感極まって先走りする弦・管、多数)、これほどのチャイコフスキーを作り上げる指揮者がただもののはずがない。・・・ペーター・フロール、必ず浮上してくると見た。