ぼくは、アバドがロッシーニの正統的な規範を示したと思っているが、
セビリヤで、ベルガンサがうたっている録音はかっきてきだとおもっている。
ところが、理由がわからないが、ドミンゴをフィガロをえらび、、
よりによって、カスリーン・バトルをロジーナにしている2回目のセビリヤは
まったく、いいところがない。
正統的なロッシーニをきかせて、2回目はロジーナがソプラノなんていうのは、
自分で打ち立てたものを台無しにする行為だと思った。
ただし、バルツァ(メゾ)がうたう「アルジェのイタリア女」は、すばらしい。
彼が何を考えているのか、よくわからん。