>>361

カラヤンの運命は、ベルリンフィルを徹底的に磨き上げ、
オーケストラをドライブする快感に満ちている。初心者は
だまされやすいが、きれいごとに堕しており内容空虚である。

そもそもベートーヴェンの音楽自身、どうしてそのような
スマートなものでありうるのか。もっとゴツゴツとした、汗まみれの、
男性的な音のドラマではないだろうか。

フルトヴェングラーには、それができたのだ。
1947年の歴史的復帰演奏会を聞いてみよう。あたかも名優の演技のように
ベートーヴェンの音楽をきれいごとではなく、真にドラマティックに
あたかも阿修羅のごとく表現していく。

まさに永遠の第五と言えよう。

カラヤンは、スマートでかっこいいかもしれないが、
ベートーヴェンからはあまりにも遠い。