>>907
学者はもとより演出家にもモーツァルトがよくわかってない人もいるよ。
例えばコシ・ファン・トゥッテで最後に新しい組み合わせのカップルに
してしまうなんてのも、この作品でモーツァルトとダ・ポンテがなぜ
元の鞘に収まるというもっとも平凡な結末にしたのかを演出家が
解釈し切れていない証拠。ケルビーノの扱いだって同様だね。
モーツァルトの死後に書かれた罪ある母が先入観になってしまってる
のが多い(尤も、こちらは後世の脚色を加えた解釈という理解は可能だが)。
技術ならともかく芸術に対して「権威」を持ち出してその価値を云々する
のは愚かなことだよ。