>>902
たった1回の練習で本番に挑むシンフォニーに技巧的なものを要求できない
というのが18世紀の交響曲の実状。ヴィルティオーゾは望めなかった。
最初に真剣に悩んで作曲したのがハイドン四重奏曲といわれるけど
本当に通好みしか聴かないことを前提にした作品で
持てる作曲技法の陳列と融合という壮大なテーマが横たわってる。

これを交響曲に発展できたのは、作品発表と興行成績にこだわる父親が
居なくなったからではないかとも言われているけど
それ以前に果敢に実験的書法を形にしていったハイドンの存在が
もっとも大きかったように思う。

ルーティンワークといったのは、そういう書法の発展という考えが
モーツァルトにはほとんどと言って良いほど無くて
ほどよいセンスでマネジメントしたブランド製品に近い。
そうしたプロダクトが古典派作品の特長といえばそうだが
モーツァルトの作品は折衷主義で塗り固められている。
個人的にはモーツァルトという存在自体が偽作という感じがしてる。
それはそれで開き直れば面白い存在なのだが。