大袈裟を謂うつもりは毛頭無いが
ヤマハがリヒテルに取り入って(失礼)共感してピアノ器提供したのに
グールドはやや感興したのではないかと邪推するが、はて?
奏法などへの小賢しい評価から遠いリヒテルの音曲把握には惹かれるものがあった筈。
スクリャビンへの共感などからもグールドが資本性ポスト構造主義などとは無縁とは思うが
バッハ→ベト→シェンベルク等→その先ってのを自分に課してたのではなかろか

みずからの音の美しさ(音響)に無関心で音の紡ぎ出す構造の息吹にぞっこんだったのも
この図式で多少説明が付く。(餌付けとしての新ウィーン学派への憧憬だろうか)