グールドが示唆したものに向かうような、あるいは受け継いでいくようなピアニストは、
いまだ我々の前には具体的な形をとって現れてはいない。

コンサートの終焉とはまったく対極にいるようなソコロフの姿勢も、それはそれで興味深い
けれど、グールドの影響を全く受けていないともいえない・・・どうなんだろ?