精神性とかいうとなんだか難しげだけど、要するに本当にその作品やその作曲家を
心から愛している姿勢が感じられるか、ということなんじゃないかと思う。
確かに、カラヤンは、「何でこの曲を録音することにしたんだろう。カラヤンほどの大御所なら
乗り気がしなくて嫌なら断ることもできただろうに」と思わせる演奏が多い。
コーホー先生らも言うように、せっかくクラシック指揮者としては異例の人気と権力を手に入れ、
音楽家としてのセンスや非凡なものがあることは確かなのに、なんだかもったいない。
クライバー(息子)ほどレパートリーを限定してしまうのも考え物だが、カラヤンの場合、
もっとそういう、良い意味でのえり好みがあってもよかったんじゃないだろうか。