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グランプリ賞(1962年のベートーヴェン交響曲全集、1963年ブラームス交響曲全集、1974年新ウィーン派管弦楽集や1982年マーラーの交響曲9番など多数)を受けたりとセンセーショナルな活動を見せた。

彼の音楽的特長はレガートが流暢で、高弦を鋭くさせ輝かしさを実現し
そしてどんなに金管が鳴っていても内声や弦パートがしっかり鳴っていなければならない事を第一とし、
ベースパートがいくらか先に音を出すことを絶対条件とした。
彼の指揮法はダウン式で、手を振り下ろした地点で音の打点を示す外見的にも格調高いものがあった。

カラヤンは自他共に認めていたがナルシズムが強く、写真やビデオ撮影にはことさらうるさかった。
汗を写す事すら許さなかったと言われる。
ベルリン・フィルの団員達も音と映像を別撮りしたため、撮影が困難になり、
ハゲの団員はカツラまでかぶせられたと言うからカラヤンの執念が伺える。
この精神的苦痛により、このあとさらにハゲの団員は増えた。

82年のマーラーの交響曲第9番や、88年のブルックナーの第8番などのいくつかの晩年の演奏にも、
並外れた正確さを土台に解釈の普遍さと透明度で評価の高いレコードも数多く存在する。

ベルリン・フィルの楽員の談話によると、カラヤン&ベルリン・フィルのベートーヴェンの交響曲全集の売り上げは、
バーンスタイン・ウィーン・フィルのそれの10倍以上あったと言われる。

1995年に発売された「アダージョ・カラヤン」はラテン語圏を中心に大ヒットを記録。
「アダージョ・カラヤン」の大ヒットは、その続編盤やヒットに便乗したかのような亜流のCDを生み出した。
その後、熱狂の日、「のだめカンタービレ」CD発売にいたる。