コルトーは若い時代はやはりヴィルトゥオーゾと呼んでも可笑しくないと思います。
ミスタッチとヴィルトゥオーゾも関係ありません。
ですが、コルトーはある時期からピアニストとしての方向性を変えたのでは
無いでしょうか?コルトーの伝記がながらく日本で絶版なので、僕はまだ
読んだ事がありませんが、そう思えて来ます。

クラウディオ・アラウも『アラウとの対話』の中で、ミスの無い
機械的で潔癖な演奏を一部非難していますが、19世紀やホロヴィッツや
アラウなどの19世紀のなごりのあったピアニストにとっては、
ケアレスミスなど問題ではなかったのでしょう。