>>726
2.ストラヴィンスキーはスターリン時代にはスイス〜アメリカにいた。
スターリンの没後、1962年になってやっと里帰り訪問した。
ショスタコーヴィチは、忠誠を誓っていたわけではない。当時のソ連は、
党の意志は「プラウダ」という新聞で公表されており、ショスタコも何度か
槍玉に挙げられたことがある。その度に「保身」のための作品を書いて、
かろうじて生き延びた。
1936年の「明るい小川」事件(歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」と
バレエ「明るい小川」に対するプラウダ批判)でピンチに陥ると、交響曲第4番の
初演を無期延期、非常にわかりやすい第5番を書いて名誉回復。
1948年の「ジダーノフ批判」に対しては、翌年に「森の歌」を書いた。
スターリンの没後(1953年没。その年の暮れ)、交響曲第10番を発表するも、
モノグラム(自分のイニシャルを曲に登場させる)手法が槍玉に挙げられるなど、
本当に波乱の一生だった。

これ、うまく説明できる香具師、いるのかなぁ…
とりあえず、間違っててもツッコミ入れずやんわりと訂正よろ。