いずれ歴史が全てを明らかにしてくれるだろう。

ギター合奏が教育上有効であることには私も異論が無い。
* 単音アポヤンドというギター演奏でもっとも多用されるテクニックを重点的に鍛えることができる
* 分業による個人の技術的負荷軽減で比較的初心者のうちからバッハ、モーツァルト他音楽的内容の
 高い作品に触れることができる。
* ギターの基礎を習得していればいろいろなパートを移動することが比較的容易。
(今回はヴァイオリンパートでメロディを弾き、次のコンサートでは木管パートで装飾音を担当
といったことが可能)
等など、まだ私の気付かないメリットもあるだろう。

しかし、この教育上の“手段”が“目的”となりうる日が来るのだろうか?
即ちギター合奏が上記のような教育的な目標を離れて純粋に観賞用の音楽として聞かれる日が
来るのだろうか?

「もうそうなっている。」と主張する人たちがいると思う。
私の考えは異なる。

しかし今、ここでそれを争うことないだろう。
全てはいずれ歴史が明らかにしてくれるのだから。