その「競技」のはるか先にしか「音楽」はない、
そういう宿命や悲しみを、わかっていながら、
取り組まなければならない。
編曲は、実用音楽たる吹奏楽の「恨」です。
そうまでして取り組んでもらえるというのは、
作曲家の方の立場としても、得難い体験だと
思いますが。