評論家達は、日本のクラシック界のダニ …三善晃のご機嫌を取らないといろいろと不便
三善の息のかかった「現音サークル」は、ひと頃の12音手法による感覚的、頭脳的な
音楽をはびこらせて、クラシックファンを遠ざけた。

12音音楽でなければ音楽でない風潮…がずーっと続いた。
しかるに現在一般ホールでのコンサートで演奏されるのはごく稀の稀。たった20年の命しかなかった。

12音手法による作品は、音楽的な才能がなくとも、頭がよければ何とか聴ける音楽を作曲出来る。
極言すれば一種の環境音楽のようなもので、命を削らなくとも努力だけで出来上がる「音響」です。

評論家は、外山雄三氏の「ラブソデイ」…の様に日本でも、外国でも一般大衆に圧倒的に支持される曲を
「通俗的」…と一蹴してお終い。

私は12音作曲家が、飯を食うために通俗的な劇伴音楽を作曲して、録音する仕事に何度か立ち会ったが、
まるで旋律が書けない…信じられないほどの不器用さ
そのへんに転がってる「演歌作曲家」の方が遥かにいわゆる《音楽家》でした。

なぜ外山雄三氏の「ラブソデイ」を引き合いに出したか…?と云うと
以前にN響が世界公演をして「ラブソデイ」が大きな支持を受けて帰って来た
その後の音楽評論家と外山氏の音楽 雑誌上での対談

音楽評論家 …「それにしてもラブソデイはすこし通俗的すぎますねー、もっと陰影のアル
        民謡が多くあるのですから」
外山氏   …頭かきかき 「いやー うければいい、という発想もありますからねー」

これを読んで、わたしは《音楽評論家は音楽の敵…》と思う事にしました。