ジャン・ルソーの『ヴィオル教本』やその訳者解説を読むと、
マラン・マレの時代のフランスでも、まだ「旋法」から「調性」
への過渡期にあって、今から考えると簡単に整理できるものを
わざわざ複雑に考えて理解しようと努力していたりする。

「明るい」「悲しい」なんていう表現も、そういう時代背景の
中で出てきているんですよね。