古楽オタがウザい理由
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0302名無しの笛の踊り
2006/09/25(月) 22:35:05ID:FLyP+1jE転向云々は吉本的文脈から離れるとアナロジーとして成立するのではないですか。
ちょうど西欧で、正統派マルクス主義へのアンチテーゼとして
フォークロアとか構造とかに向かう動きがあった。
いわばモダン的ものの見直しを企図して
西洋近代から時間的・空間的に遠いところに着目した人々にとって、
アキレス腱となるのが「それでモダンを分析できるのか」ということだったと思います。
歴史/人類学とクラシック演奏/解釈史の間にこうしたアナロジーが成立するとすれば、
80年代後半から古楽演奏の主要団体が
古典〜ロマン派のレパートリーにつぎつぎ挑戦しはじめたのは
(その評価は措くとして)充分に頷けることです。
モダンへのアンビヴァレンツをもちながら音楽史を読み直し、
さまざまな業績を挙げたこれらの人たちは、モダンに正面から向き合うことによって
キャリアを完結させることを選択したのではないでしょうか。
一方、彼らが見いだし、開拓したフィールドがひとたび自明なものとして成り立つと、
その種の内的屈折をもたずに古楽に向かうことも可能になってくる。
こういう人々にとってはバッハもラモーも等価なものとして現れるでしょう。
そうすると、
�@モダン
�Aモダンに否定的にこだわる古楽派
�Bそうしたアンビヴァレンツをもたない古楽派
の3種類の人たちがいるとして、
�@�Aはコインの裏表のようなものですから、
このスレでの(というよりその大もとになっているとおぼしき)主要な対立は
実は�A�Bの間でのものということになるのですかね。
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