古楽オタがウザい理由
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0295名無しの笛の踊り
2006/09/25(月) 10:22:22ID:WeDeu5dr> 「転向」の有無が問題にされることがあるだろうか?
そうですね、政治的な文脈以外ではあまりない。
が、他の芸術ジャンルでは(少なくとも日本では)「転向」は非常に大きな問題で、
たとえば、現代詩をみると、北園克衛のようなモダニスト詩人などは、
戦中に簡単にモダンを捨てて国体護持に奉仕した、などとして批判されたり
しています。北園さんなんかは全然政治的な人じゃなくて、実は批判しまくった
戦後派の方が政治的、党派的だと思うのですが、まあそれはさておき。
音楽でも、Rシュトラウスがナチスを賛美したり、ソ連の音楽がグダグダだった
のは有名な話ですが。
で、吉本隆明の「転向論」を久っしぶりに読み直してみたら、転向ってのは
封建的、天皇制的、大衆的、日常的、なものに回帰するプロセスであるため、
モダン=クラシックこそ封建的、天皇制的、大衆的、日常的なわけだから、
モダンから古楽に走るのは転向というよりむしろ「改宗」とでもいった方が
いいですね。より非日常、尖鋭的なものに走るわけなので。
このことを踏まえると、
>一口に転向といっても、2とおりあるのではないかということ。
> この道一筋で行ったが挫折して、そこで進路を変更したというのと、
> 「こっちの水が甘いぞ〜」と思って進路を変えるのと。
後者の方は「改宗」で、ご指摘のとおり、このパターンの方が多いでしょうね。
で、前者的な入り方があるとしたら、やっぱり転向なのかな。
リスナーの中には「改宗」すら意識していない、という言い方があるわけですが、
まあ生まれながらのコミュニストみたいなものですか。
逆にこの場合は、「転向」とかって有り得るのかしらんw
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