実感としては、>>135>>242にいちいち頷く点が多い。
これが>>1の感情を一番具体的に説明している感じがする。

>>236
たしかに「耳の転向」については、確かにあまり議論する意味はないかもしれない。
つまり、>>213氏に側していえば、いまや「モダン=クラシック」は(広義の)ヲタに
とって自己同一的な出発点とはなりえない、でいいだろう。
聞く音楽はバッハ以前、コンサートはBCJの類しかいかない、という人がいるらしいので。

ただ、そういうリスナーとしての「生まれながらの古楽ヲタ」はひとたび
演奏しようと思ったら苦労すると思うが。
>>135氏のいう「頭でっかちの音楽」にならざるを得ないから。

でも>>241といわれると、また判らなくなりますね。
>「モダン=クラシック」を経験したであろう人がそれに距離を置く、
>もしくはそれを相対化することが「転向」になるのだろうか、ということ。

これも>>205の続きでいえば、フロンティアをどう意識するかにかかっている
のではないでしょうか。つまり、唾棄すべき古巣として捉えるならば転向だし、
おっしゃるように冷静に相対化したということならば、転向とは言わないだろう。
本来、「モダン=クラシック」と古楽とは、常に対立するという関係ではない筈なので。
そのとき、プレイヤーをやめたという「転向」の方が重みを持つことになる、と。