>>213
>「モダン=クラシック」が(広義の)ヲタにとって自己同一的な出発点たりうるか

たしかに、>>214-217を見ている限り、自己同一的とはとてもいえないと思いますね。
ただ、こういう輩はネットでは元気なのだが、実社会ではどうなのだろう?
彼らは、「そもそもの問題提起(>>88>>93)」に対しては返答していないわけです。
つまり「転向なんてなかった」と。

ただ「無問題」というのは、大して古楽に寄ったわけでもない音楽教育を考えると
未だに不自然なわけ。ヤマハの音楽教室で古楽を習うか?才能教育でヴァイオリンを
習うと古楽か?逆にアンチスズキは古楽か?毎コンや音高の受験に古楽があるのか?
だから、「無問題」派とは、あくまでもリスナーとしての無問題であって、
鍵盤楽器も弦楽器に関しても、文化を創造する側は無問題とはとてもいえないわけです。

つまり、「モダン=クラシック」を経験しなかった人とは、基本的にはリスナーであると
断言してもいいと思う。だから、「古楽」演奏のソースを提供する側が、何らかの
説明でもしてくれなきゃ永遠に「そもそもの問題提起(>>88>>93)」は解消できないと思う。

>>212
共産主義下でのクラシック音楽の特異な発展に関しては注目しているよ。
ショスタコやプロコフィエフのような屈折は、時代的状況なしにありえなかったわけだから。
君が馬鹿だと思う理由は、ここがクラ板であって音楽気違い(何よりも音楽優先)だと
いう輩の集合だということが理解できていない点w