>>201-203
なるほど。
>まずもって「古楽厨」の意味するところ(内包/外延)を定義しなければ
そうですね。

僕は「厨」の定義としてふさわしいものに「フロンティアの妄信」という点が
あると思います。現代音楽には作曲におけるフロンティアがあるとしたら、
古楽(ピリオド奏法)には演奏としてのフロンティアがある。
さて、どちらも最初に出会う際に、「モダン=クラシック(凄い言い方ですが)」の
アンチテーゼとして見える場合がある。

「モダン=クラシック」とは何ぞやといったら、演奏としてみたらモダン、
作品としてみたらクラシックということです。要するに、音大を出た先生に
普通に習うクラシック音楽。「ショパン弾けるよ」といって弾く、あれ。

「モダン=クラシック」の欠点は、宗教における在来仏教やキリスト教に
似ているところがあって、要するに世俗的な「事情」にまみれていること
(ex.モダン楽器とピリオド楽器の両方を持ち歩いて演奏できるかいな)、
良家の子女が習ってることに対する後発者のコンプ(ex.あの姉ちゃん馬鹿のくせに
ショパンがうまい)。俺はバッハの理解者だ)、秘密がないように見えること、などがあります。

こうした「モダン=クラシック」の欠点を容認できない人が、あるいは物足りない人が、
いわゆる現代音楽や古楽に走ることになるわけです。その際に、「モダン=クラシック」の
存在意義および先端性を理解した上で「フロンティア」にいくか、そうでないか、
によって「厨」になるかならないかが規定されると思うのです。
だから、判断基準は「モダン=クラシック」へのリスペクトだと思うしだい。

>>204
私はホリガーのテレマンが好きです。モーツアルトも好きです。
一流の演奏だと思うし、多くの人達もそう思っている。それだけのこと。