>>963
ザビーネ・マイヤーに端を発する一連のカラヤン騒動を当時の音楽雑誌で追っていた人なら、
記憶している方もいると思いますが、記憶に間違いがなければ、ドレスデンだけでなく
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスにもポストを求めて打診したそうですが、両方とも
急な申し出に受け入れ態勢を整えることができないという理由で断られたという記事が載っていました。

もし実現していれば、東西冷戦のさなか、西側音楽界の帝王を東の軍門に下らせることで
東ドイツにとってもいいプロパガンダになったろうとは思います。85年に復興されたゼンパー・オーパーも
カラヤンが配下に納めていれば、それこそ復興にふさわしい華々しい門出になっていたでしょうな。
カラヤンとしては、特定の指揮者に権限をもたせないVPOより、これら二つのいずれかで
権限をもちたかったのでしょう。