≫974
≫当時は一般的に交響曲はオペラやミサ曲ほど重要なジャンルとは見做されてないよ。

それは承知してます。しかし、ハイドン、モーツァルトの存命中に交響曲の重要度が格段にアップしたのも
また事実でしょう?

≫交響曲は緊密な構成でなきゃ、というのも後世の視点。安田和信氏
 もよく言っておられるが、19世紀初期あたりの交響曲でも、耳障りの良い
 旋律を経過句で繋いだだけ、というタイプの作品は多いよ。

それもよく分かってます。だからわざわざ「ハイドン型(?)の交響曲」って書き方を
したんですよ。ハテナマークまで付けて。

≫器楽曲だから他人の手が介在しえない、なんて合理的根拠はないよ。

誰も断定してないですよ。ただジャンルによって弟子の手が加わっている率に
バラつきがあるんじゃないの、って言ってるんですよ。
……。うがー!!もっとちゃんと他人の文を読んでくれ〜!(別に怒ってるわけじゃないですよ)


あと、41番は音楽的には支離滅裂っぽくても構成的にはかなり堅固ですよ。
モーツァルトのねらいもそこにあったのかもしれないですが。(ハイドンへの一種のライバル心かな?)
また、あの目録は資料価値については高くも低くもないってとこですかね。

彼の作品にどのくらい弟子の手が入っているか、という話題は興味深いのですが、
しかし仮にそうだとしても、曲の根幹に関わるほどには弟子の手は入っていないと思います。
根拠があるわけではないですけどね。