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確かにね。モーツァルトの「イドメネオ」なんかは正に主たる任地の外、つまり
ミュンヘンからの依頼で書かれた作品だよね。「ドン・ジョバンニ」はプラハからだし。
うーん、モーツァルトはそもそもオペラ作曲家としてウィーンに躍り出たわけじゃないからなあ。
それに最初のイタリア・オペラが「フィガロの結婚」を題材にしていたことも機会を
得られなかった要因として考えていいと思う。これが貴族にすんなり受け入れられたとは
考えにくい。特に宮廷に役職を得ていた人々には。それにサリエリらからすれば、自分達の
ウィーンでの立場を脅かしかねないドイツ人はなるべく潰しておきたいと思ったとしても不思議じゃないよね。
シューベルトはボヘミアン過ぎて例としてはちょっとキツイかもよ?それに18世紀末と19世紀初頭
では事情があまりに違いすぎると思う。少なくとも、モーツァルトが生きた時代に発表の当ても無く
オペラを書くというのはかなり無謀なことだと思う。「フィガロの結婚」の上演に至るまでの皇帝と
ダ・ポンテとの駆け引きが上手くいったのはむしろ例外かも。

この時代にオペラを作曲したドイツの作曲家は確かに多かっただろうけど、
イタリア・オペラで大々的に成功した人って案外いないよね。

モーツァルトは音楽のみならず台本にもこだわりまくった人だから、台本作者を変えて云々というのは
難しかっただろうね。ちなみに言えば、モーツァルトはオペラでは人気作曲家にはほど遠かった。
でも、そのオペラの作品としての価値は消極的ながらも認められていた。
ウィーン以外の都市では、そのオーケストラ・パートの比重の重さがよく非難されていたらしい。

ちょっと話がずれたけど、まあ、モーツァルトがオペラで難儀したっていうのは初期以外では考えにくいね。