ハイフェッツにまつわる神話っていかがわしいよね。

ハイフェッツこそ、新しいヴァイオリン技術を完成させて、
楽譜に厳密な新即物主義の様式(批評家が喜ぶ様式)を完成させた
といって褒めるけど、

今聴くと、ハイフェッツって、むしろ即物主義的な振りをした、ヴィルトゥオーゾ
で、無理して速く格好良く弾いている感じがする。 それが心地よく楽しくも
あるけども。 「科学技術万歳」の社会的風潮に乗った演奏というべきか。
ショルティ=シカゴ響などと合い通ずるものを感じる。

その後、本当の意味での厳格主義の風潮がきて、オイストラフや
スターンになると、むりに格好をつけるような演奏じゃなくなっていく。
その代わりハイフェッツにはまだあった「遊び心」が失われていく。

こういう流れに、時代性を感じる。 この時代性に距離をおく時代がきたと思う。
だから俺は、盲目的なハイフェッツ賛美と、オイストラフ賛美には距離を置きたい。