ネット社会の中には個人の実名とホームのメールアドレスを公開して、
個人の責任感の下に発言している人たちもたくさんいる。
そういうスタンスの人が他人の名前とメールアドレスに拘り、発言の
責任を促すというのなら充分理解も出来るし、納得もいく。
しかし、karayanusというハンドルネームには、たとえそれが固定ハンドルで
あったとしても、実名に匹敵するだけの重みは持ち得ないし、hotmailも
同様に、ホームのメールアドレスに匹敵する重みは持ち得ない。

一連の発言から、karayanusは「私信先が公開されていること」を発言
内容を真剣に読むかどうかの一つの基準として、拘っていることが分かる。
しかし、もっとも重要だと思う点は、「私信先を公開していても発言内容に
責任感を感じない発言をする人たちもいるし、私信先を公開していなくとも
発言内容に責任を持っている人たちもいる」ということ。
相手の顔も声も見えないネット掲示板での発言のやり取りには、文章という
ものしかない。
書かれた内容、何を置いてもそれがまず一番大切で、私信先が公開されて
いるかどうか、や、名前を伴った書き込みなのかどうか、ということは、発言
内容に付随してくるものであり、その重要さは本来、発言内容よりも先に
立つものではない。

「何を発言しているのか」よりも「誰が発言しているのか」のほうが重要なら、
おそらくカラヤンの音楽もそのようにしか聴けていないだろう。