フィルクスニーの記述はまだあって、
チャイコフスキーのピアノ協奏曲のラジオ中継に感動した後、
1931年に行われたホロヴィッツのパリでのリサイタルに立ち会う機会があった。
彼はこの時のことを次のように語っている。
「帰る道すがら、私は雲の上を行進しているようでした。」
それからこの若いピアニストによって引き起こされた熱狂をロシア学派の
発見により説明している。それまでドイツ学派の
代表的なピアニスト達、バックハウス、シュナーベル、フィッシャー、
ザウアーが優位にたつと思われていたのである。彼は言う。
「それは新しい世界でした。ピアノによる今までにないアプローチだったのです。
ホロヴィッツのリサイタルは私の人生で最も強烈な印象をあたえました。
ホロヴィッツはラフマニノフより面白かった。・・・


クラウディオ・アラウ
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私は母と一緒にベートヴェンザールの最前列で聴いたのを覚えています。
葬送ソナタの第1楽章を僕は忘れることはできません。
音楽通の母もその晩聴きにきていてよかった。家に帰ると
母は言ったのです。ピアノに向かって練習したほうがいいわね。
ホロヴィッツはあなたより上手に弾くのだから。