音楽が絵画などとは違い、「演奏され」「聴く」事でしか存在しない芸術です。
でも芸術として扱われる以上、演奏によって人の心に何らかの感動を与えること
こそが音楽の本質であり、唯一の目的であることは間違い無いでしょう。

同じクオリティーの演奏ならといいますが、実際は同じクオリティーの演奏って
無いですよね?同じ演奏者の演奏でさえ、演奏会ごとに違うわけですから。だか
らクオリティーが同じなら暗譜に価値がある、というのはクオリティーが同じ演
奏自体があり得ないのですから、実際には机上の空論だと思います。

しかしライブであれば暗譜による視覚的インパクトも確かに感動の大きな要素に
はなるでしょう。
でも録音であれば暗譜かどうかなんて分からないし、演奏者の音楽性だけが問題
になる。
つまりライブであっても暗譜しているか否かは本来二次的なものに過ぎず、演奏
者の音楽性こそが聴衆に与える感動の最も優先されるべき点のはずです。

暗譜してるけど全然音楽的ではない演奏と、譜面を見ているけど音楽的な演奏な
ら、後者に価値があるはずですよね。
暗譜することが演奏の目的になってしまったら、する意味は無いということです。
結果的に暗譜してしまい、暗譜した方がその演奏者にとってより音楽的に演奏で
きるならやるべき、ということです。

多分、音楽コンクールなどでは管楽器奏者も暗譜でやっていることが多いと思い
ます。でも大多数の出演者にとってその暗譜が「他の人もやってるから。慣習だ
から。」以上の意味があったのか?といえば難しいのでは無いでしょうか?