>>751
以下は現代ギター68年8月号41ページ「真鍋理一郎の『ちょっと気になること』」からの引用。
俺自身は「あー こういう意見もあるのかぁ」ぐらいに留めてます。
なお、真鍋氏は純粋な作曲家ですがクラギは弾きません。また、以前ここのスレで「クラギストは理論も和声も知らない
ので音楽家としては半端者」云々のカキコがありましたが、真鍋氏の考えは勿論それを擁護するものではありません。

・・・(略)、ギターを上手にひくために、和声法や対位法を学びたいというギタリストにしばしばお目にかかりますが、私
個人の見解では、それはあまりおすすめできません。
演奏というのは、和声法、対位法の領域で解決できないあまりにも多くのものをもっている怪物です。逆に、何等そういった様式修業〜和声法等の〜をしない者が、美しい音楽をつくる例の方が多いのです。
ただし、音楽学者や、教師になる場合は別です。が、その場合でも、和声法というものは絶体的な方法論としては存在しないことを御承知おきいただきたいのです。
かりそめにある様式をきめてその中で音の美感、音のうごかし方を修練することによって、音感をやしなうひとつの助け
にすぎないのであります。
もちろん各派を問わず、共通した和声法上の美感、つまり、如何にすれは美しく、如何にすればきたなくひびくかといった論も全然通用しないとは申し上げません。
しかし、そうなると、むしろ音楽作品としてどれが美しい基準か?という問題に近づくことになります。その答はここで申上げる必要はありますまい。地上にある無数の花のごとく、千差万別、いずれがあやめかかきつばたであります。
音楽はとらえがたいものであります。
なまじ和声法や楽式の書物を読む暇があれば、音階の練習でもするか、名演奏のレコードを聞く方が、ずっとましな話であります。