ラトルは最新形の指揮者というイメージだけど、結局ブーレーズの延長線上の指揮者なんだよな
ロマン的解釈を避けてるための手段として
意図的に解析主義的なアプローチを用いたブーレーズと違って
同じアプローチとはいえ、動機が何より快楽的な部分に基ずいてるのが大きな違いなんだけど

結局その快楽性に基ずいたやり方がブーレーズの楽曲の歴史的パースパクティブを露わにする
俯瞰的解析性に較べて、楽曲全体としてのイメージを提示するという部分で劣っているのは明らかというか
まあロマン派以降のストラヴィンスキー等の近現代、古典派のものなら相性はいいんだろうけどね

てか、はやく、そうしたある種の全体性と同時に快楽性も提示してくれる指揮者が現れてくれないものか
マーラーだけなら、大野和志が実現できてるとは思うが