>>925は全く正しい指摘だと思う。

まずマーラー自身がユダヤ系だし、直弟子のワルターがナチの迫害を逃れて
アメリカに渡りニューヨーク・フィルの指揮者になり、後にコロンビア響
などとも多くのマーラー名演を残すなど、移住以後は活動の中心はアメリカ
にあった。ちなみにワルターが亡くなったのはロサンゼルスだ。

これに対してブルックナーは南ゲルマンカトリックの風土に深く根ざした
音楽(と言うより、南ゲルマンカトリックの精神世界を音楽で表現したのが
ブルックナーの音楽)で、ユダヤ系をベースに普遍世界的なものを指向
する傾向の非常に強いアメリカのクラシック音楽界とは接点がほとんど
全くない。

このように見てくると、これは単に>>925の繰り返しになってしまうが、
バーンスタインの愛弟子の大植氏にとってマーラーの演奏は自家薬籠中の
ものとできても、ブルックナーの名演を期待することが如何に難しいこと
なのかが分かるのではないだろうか。

朝比奈氏は、氏の西洋に対する深い本物の教養と理解とを基盤として、
ブルックナーの精神世界にも真正面から迫って行った。大植氏にこのことを
求めるのは酷というものだし、また時代背景も全く違うので、そもそも求める
べきことではないだろう。
上でもすでに何度か指摘されているとおり、大植氏が振る以上大植氏自身の
ブルックナーを目指してもらうほかはないが、他方で一朝一夕にして
ブルックナーの世界に迫って行けるものとは到底思われない。

大植氏と大フィルも、ブルックナーについては一流の客演指揮者に委ねる
というのも、一つの選択肢として検討に値するのではないか。
ひょっとしたら、来シーズンの定期演奏会のプログラムにブルックナーが
ないのは、こうした点を慎重に考慮中ということなのかも知れない。