「ドイツ的な演奏」の典型は、情念的な誇張よりも
むしろ造形を優先するんじゃないかな、と思う。
ヴァントとかベームとかザンデルリンクとか。

フルトヴェングラーの、情念誇張的な造形美学は、
彼独特のものであって、その表現をもって「ドイツ
的」の代表格や典型例とすることはできないのでは?

ミュンシュ/パリ管のブラ1が、「フルトヴェングラー的」
とか「ドイツ的」とかいうレッテルを貼られるようになった
のは、宇野さんの書いた文章のせいかもしれませんね。

「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラー的」とか、
「ドイツ人以上にドイツ的」とかいうのは、宇野さん
が作り上げたフィクションなんじゃないかと思う。

オーケストラ録音史上に残る価値ある演奏であること
に違いはなくても、ミュンシュ/パリ管のブラ1は、
「フルトヴェングラー的」とか「ドイツ的」とかいう偏見や
先入見を取り除いた上で接して、初めてその可否を問
うことができるようになる性質のものなんじゃないかな。