31日毎日夕刊

 濱田滋郎(音楽評論家)

  『 イーヴォ・ポゴレリッチが6年ぶりに来日、サントリーホールでリサイタルを持った。
   1958年生まれだから今まさに弾き盛りのはずだが、ここ数年はあまり活動を聞かず、
   ようやく昨年のアメリカ・ツアーから楽壇に戻ってきた様子の名ピアニストである。
   予告されていたベートーヴェン中心のプログラムは全く変えられ、前半にショパン、
   後半にスクリャービン、ラフマニノフとなったが、彼の人となりを知る者にとっては
   驚くことではない。極端な言い方をするなら、この超個性派演奏家を聴くに当たっては、
   曲目よりも彼の流儀を味わうことのほうが主な目的になるからである。
    最初の「ノクターン・ホ短調」が始まるとすぐ、ゆらめくロウソクのように一音一音
   ニュアンスを変えて弾かれる主題旋律が、ポゴレリッチの世界に聴き手を引き入れた。
   つづく「ソナタ第3番ロ短調」は、通常なら全曲25分前後で弾かれるものが、43分ほど
   要した。一音一フレーズに余りに濃い情念を注ぎ込むため、いきおいテンポが遅く
   なるのである。それでいて音楽が弛緩せず、すき間風が吹かないところに彼の
   真骨頂がある。第2楽章スケルツォの中間部などは、あきらかに普通より倍以上
   遅いテンポをとり、沈痛な祈りの句に変えてしまう。第3楽章アダージョは言うに及ばず。