ビートルズはクラシック作曲家達を越えたのか
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0549名無しの笛の踊り
2005/12/04(日) 17:25:30ID:kY0Zbpqzただ作曲するときの姿勢として、クラシックの作曲者の方は、
自分の美的感覚を昇華させようと絶えず「実験」をしているとは思う。
その価値を計れるのは作曲者のみであり、作曲者は自己を信じる他ない。
その点において、「自己の表出」が芸術の十分条件だと定義した場合、
作曲者の姿勢がより芸術的なのはクラシックであると思う。
けれども、だからポピュラーが下か、というとそうではなく、
ポピュラーは基本的に商業音楽である。商業音楽であるためには、
聴衆に好まれなければならない。自分の好み、わがままだけでは
成立しない。言い換えれば、前に述べたように、ポピュラーに
芸術性が必要ないことになる。
勿論、自己の直接的な表出が聴衆に好まれる場合もある。
その作曲者がポピュラーに属するか、クラシックに属するか、
を考えると、必ずしも芸術性と大衆性は二律相反を起こさない。
>>544
同意。そもそも人間に価値の大小が存在しないのと同じ。
クラシックはクラシックとしての役割を果たし、ポピュラーは
ポピュラーであるための役割を果たす。それぞれに求められる
要素が違うので比較することは不可能であるし、比較を行うこと
自体に意味が無い。唯一できることは、何かの基準を設けて比較をすること。
ただし、「芸術性」を一般化してお互いを比較することは出来ない。
>>545
>「どちらのテレビが本物の視覚に近い映像を映すか」
結局、本物の風景が一番本物に近い(当たり前)。
美術が写実主義を捨てた理由がそれに当たるが、ここではまた少し違うと思う。
なぜなら、「本物の視覚への近似性」とはあくまで一次元ベクトル、
「芸術性」とは基準を無限に持つ多次元ベクトルだから。
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