今宵はサントリーホールにてグストール・マラニノフの『管弦楽のための協奏曲第五番』を聴いた。
予告では『マーラー交響曲第五番』であったが、事情があったのか、変更されたようである。
第一楽章が始まる。朗々とした、だが時代遅れな葬送のラッパはおそらくゴルバチョフ演説の戯画であろうか。
グラスノスチ、というやつである(意味はわからない)。二回目のトリオで、ヴァイオリンに三連譜に九度の跳
躍がからむ(米ソ冷戦の暗示であるのはいうまでもない)が、強調されず素通りしてしまった。きっと「ここは
ヴァイオリンさんの見せ場ですから、余計な強調はしないでくださいスパシーヴォ」という指揮者の配慮かもしれ
ない。
第二楽章がはじまる。あいかわらず九度音程は強調されない。弦楽グループが難所を苦もなく弾き上げる。
人類初の有人飛行を成し遂げた先駆者たちにひけをとらない技術である。ただ後半のハープが金管・打楽器に
音を掻き消され犠牲になった。きっとこれはロケット打ち上げ試験で犠牲になった動物たちを表しているのだ。
旧ソ猫を噛む、という故事に思いを馳せた。

第三楽章
この頃から、アンサンブルがズレを表現し始める。合わない。揃わない。弱音を吹けない。入りを間違える。
社会主義態勢崩壊の予兆である。グラスノスチ(意味はわからない)の終焉であり、結尾の音のクーデターは
すなわちゴルビー失脚のまさにそれだ。
第四楽章「アダーニェット」
弦楽器のみで奏でられる、このスローモーションな音楽は、民主主義の到来である。社会主義の象徴たる金
管打楽器は沈黙し、うもれていたハープがメチャクチャ不安定な音程で奏でる。
中間部で登場する新主題は甘い自由経済の囁き。