>>222
だから、「特別何かを音にしたいとか」そんなことはどうでもいいの。
どうでもいいというのは、当たり前の前提過ぎてどうでもいいということ。
それをいうのに、『真の』メッサディヴォーチェだの、「18世紀の今の何百倍もの多様性」
だのいうのは何?今の古楽奏者だって、「真の」メッサディヴォーチェを求めてるし、
「多様な」表現を求めているでは、いかんの?