>50年100年経ってみないと、使い捨てだったか否かは判らない。

でもこれって一面では事実であると同時に、都合の良い隠れ蓑でもありますよ。
マーラーもこの手の発言を言ってますよね。
これも考えようによれば使い古された言葉とも言えますね。

すこし話はずれますが、今私がリアルタイムでPCで打ち込む時のキーボードの音も音楽であり、
それがリアルタイムに他の人に聞こえなくても、
この事に対するレスをする時にキーボードを打つ音が、
間接的に私に対する答唱として能動的音楽的にに参加している、とも言え、
ジョンケージの4分33秒の精神を更に推し進めたものだ、と言う事もできるのでは?

別にこう言う音楽の種類を否定する訳では無いんですが、
一方では、今だ機能和声の音楽は主流を占めていて、
これに対する上記の例は正面からの答えにはなっていないと思うんですよ。

その機能和声が崩れて、12音技法等が生まれてもうかなりの年数が経っていますが、
そのあらわし得る世界は率直に言って限定的と感じられるのですが。
ある意味その時代が冒涜と感じる事が後の「新しさ」だとすれば
(作る人がそれまでの一辺倒の空気に飽和した上での何らかの新しさを求めているのでしょうが)、
例えばDTMでクラシカルな雰囲気をたたえたまま、自然な演奏を必要としないのも、
一面では「新しい」と言う事になりえますよ。
これこそ50年100年後の理論になりえますが。

どうもなにか、感情と言葉が分離しているようにしか思えないのです。