楽譜を読めない人がクラシックを語ってるのですか?
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0210名無しの笛の踊り
2006/04/17(月) 14:09:39ID:myhSrGfU書いておきます。一人の方には関西弁を認めていただいて恐縮でした。
学会の一線で活躍する音楽史家や音楽学者は、どうして大衆的な評論雑誌に
あまり出てこないのかということです。これは恐らく、複製メディアの
大衆性というのと関係があるんじゃないでしょうか。例えば、歴史の世界なんかでも、
学会の最前線にいる人の書いた書物はほとんど読まれないで、小林よしのりみたいなの
がじゃんじゃん売れて大学生のバイブルみたいになってる。英語で言えば、
言語学の専門家みたいな人は英語の学習書かないで、素人の書いた本が
ベストセラーになったりしている。文学でも、純文学者は大学なんかで
教えて食いつないでるのに、どこの何者が書いたかわからない「電車男」が
ベストセラーになったりしている。で、この大衆化を煽り、それに乗ってきたのが、
他ならぬ出版業界や音楽業界なのではないかということ。これは消費を中心とした
経済構造と無関係ではない。それと、知識人はどうしてもエリート意識や専門化意識が強い。
専門分野では、学会誌にも序列があって、どの雑誌に論文を掲載したのかも評価の対象に
なりますからね。かくて、大衆と一部の専門家の両極化がおこり、そこに隙間ができる。
許光俊なんかが入り込む余地が出来るわけです。宇野功芳なんかは、自らは音楽畑の出身で
理論もそれなりにわかるはずなのに、大衆の見方であるようなスタンスをとって、
それが素人層に受けたんじゃないでしょうか。彼は保守的で、最新の楽譜研究なんかには批判的、
というか無関心でしょう。私のような素人が期待するのは、この隙間を埋めてくれる
有能なライターが現れることです。許みたいな素人でもなく、宇野のような反動でもなく、
また一般大衆を見下した専門くずれでもなく。でも、それが出来る人はCD評なんか
やらないんですよね、多分。かくて振り出しに・・・。
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