フルトヴェングラーはブルックナーを「欠陥はあるが偉大」みたいなこといってたが、
それは自分の方法論に合致しない部分を「欠陥」と言ったのではないかと思う
だとすれば、フルトヴェングラーのブルックナーには、彼も自覚している
「欠陥」があるのでは?