クラシックの歴史って、ある一面ではアカデミズム的な歴史を持っているよね。
まあ、クラシックに限らず西洋文化はすべてそうだともいえるけれども。
しかし楽器弾けないから楽しめないというのは、あまりに視野が狭いと思う。
子供だって楽しく聴いてるんだから。楽しいという思う心に知識の量の多寡や年齢や性差は関係ない。

だけれども、古典的な和声進行から徐々に複雑さを増していく歴史をたどるには耳の訓練が必要。
移調しても気がつかない人に近代の複雑な転調はわからないし、作者の意図もわからない。
当然、近代の複雑な転調がわからなければ、ヨーロッパの音楽が調性を克服しなくてはいけなくなったかもわからない。

それに、たとえばハ長調の持つイメージとニ長調の持つイメージの違いというのも訓練がなければ普通は気がつかない。

要するに、私を含めて音楽にずば抜けた才能がない人間は訓練によって感覚を養っていかなければダメなんだよね。
訓練すると転調の意図が理解できたり、知識を得て音楽語法を理解する。アナリゼもできるようになる。
性感が開発されるのと同じようなもの。

最初に書いたように、楽しむのは誰にでもできる。
けど、訓練なくして訓練された人と同じ感覚にはなれない。

一番こっけいっていうかイタいのが、訓練されてない人が訓練された人のように振舞っているのだなあ。
コンプレックスの塊なんだろうけれども…