本書はとにかく独自の和声記号で埋め尽くされているが、
バッハもモーツァルトもベートーベンもこんな記号は見たことがないはずである。
このことは、和声を学び、名曲を生むのにこんな記号の助けなど一切必要がないということを意味する。
特にバロック音楽ではいまだ機能和声法という考え方が普及しておらず、
ましてや根音省略形態の九の和音の転回形などという苦しい解釈など全く無意味である。
確かに機能和声法への道を開いたのはバッハと同時代人のラモーであるが、
バッハの息子のエマヌエルは「私と私の亡き父の基本原則はラモーのそれとは一致しない...」と述べていることからも、
バッハ親子が機能和声法ではなく、数字付低音によって和声を学んだことが確認できる。モーツァルトも子供の頃、やはり数字付低音で和声課題をこなしており、
さらに、このエマヌエルの著した教本をベートーベンも用いたと伝えられる。
数字付低音の世界にはサブドミナントなどという概念すらない。
ましてやドミナントがサブドミナントに進行するのは例外的であるなどという教えも存在しない。
巨匠たちはこんなことなどいちいち考えずに名作を生み続けたのである。
彼らの作品には音域やら不協和音の処理やら「例外」が山ほど見受けられるが、それは彼らが巨匠たるゆえんである。
仮にバッハやモーツァルトやベートーベンが本書を採用する音大の生徒だったら、全員落第するだろう。