うーん、ツィメルマン楽譜を守ってないわけじゃなくてデュナーミクやアゴーギクを拡大してるだけでは?
ピアノの歌に合わせてオケが待ったり、せっついたりするの。オペラと同じ要領ね。
確か本人がどこかインタビューで話していたと思う。
ピアノに細かな装飾が多い部分はいわゆる歌の聞かせどころで、小節が横に拡大される。
これをルバートと呼ぶ人もいるけどピアノ協奏曲はすごく大袈裟に書いてるからねー。テンポが変わったように
聞こえてもしかたない。
あとストレットやアジタートの指示はaccel.と同等に解釈していて(ショパンの場合それは正しい)速くなるから。
わざとらしく聞こえるのは、ショパン自身が大仰な表現を狙ったところがあるから、それを逆手に取ってるっぽい。
でもオペラの影響についてはショパン存命当時も批判されてるはず。ピアノ協奏曲2番のラルゲットを
ノクターンだという人はもう一歩突っ込んで考えてほしい。ノクターンは歌曲由来だけどあのラルゲットはもう
アリアとレチタティヴォそのものなの。だからアゴーギクのない演奏の方がむしろおかしい、
というのがツィメルマンの考え方でしょう。
こういう演奏解釈は最近のショパン研究の結果言われるようになったこと。
それまでのツィメルマンともだいぶ違うスタイルの演奏だから違和感を覚える人がいても無理ないでしょうね。
作曲当時すでにベルカントが時代遅れ扱いされはじめる頃だったというのもポイントかもしれない。
いずれにしても、テンポが動くと言うよりも歌に合わせて小節が自在に伸縮するといった方が適切ではないかと。
テンポは一定なんだけど拍数が増えたようになったり、拍そのものが一時停止して即興的な装飾パッセージが挿入されたり。
オペラアリアなら普通にあることですから、それをピアノでやっただけのことではないかと。
歌なら歌手によってアゴーギクはかなり違ってあたりまえってことで、ツィメルマンのアゴーギクが気に入らないなら仕方ないけど
アゴーギクがついてること自体を否定する>326などはちょっと視点が硬直的ではないかという気がする。