>>63>>64 みなさんはあの主題の部分を編曲と考えているのですか? 変奏曲と編曲は同一視されないのが一般的だね。

はははは。 よく読んでほしい・・・だから>>56でショパンの主題に基づくものを「作曲」とわざわざ書いているのは
そのような配慮からなんです。

ブゾーニの編曲ではなく彼のスタイルによる作曲と書いているのはそのため。
ですから編曲と変奏とは別のものです。
・・・しかし実際には曖昧な使われ方をしていますね。

ほかには、例えばモンポウが「大田胃散」の主題による変奏とかありますが
主題は、ほぼ原曲どおりであとはモンポウの様式で作曲されています。
・・・これはいいのです。
ゴドフスキーが問題なのは・・・前にも書いていますが、ショパンのエチュードをそのまま
借用している点なのです。
ブゾー二やモンポウの変奏で行なった彼ら自身の様式でショパンのエチュードを編曲するのであれば
問題はないのです。
モンポウの変奏では「大田胃散」のテーマが形を変えてモンポウの様式、スタイルで出てきます。
それは原型のテーマでなく新しい形を取ります。
私は>>43でそのことを言っています。理解されていないようですが。
・・・そう!これは編曲ではなく作曲なんです。
ゴドフスキーのショパンのエチュードは編曲と言っています、誰が言ったのかは知りませんが・・・
日本語では曖昧なんです。

・・・まだよくご理解していないかと思いますが、もし編曲ならばショパンの様式に忠実にする必要があるということです。
もし、作曲ならばゴドフスキーの様式でショパンのエチュードを作り変えなければなりません。
・・・そのどちらでもない、それが問題だと言っています。