マーラー交響曲第7番 第2夜曲
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0201191
2005/09/29(木) 14:24:30ID:lAoX+5I9だけど、今まで聞いた演奏はたいがいここでテンポを落として、ゆったりと演奏するようだけど、
マゼールはあまりテンポを落とさず、インテンポで進む。表情づけも、どちらかといえば快活。
そのことで、第2主題のレガートさが活きてくる。
なるほど、よくわかる。
確かに経過句の部分でインテンポを守る演奏はあまりないね。
その処理によって第一主題と第二主題の対比がより明確になる、と
いう主張もよくわかるよ。
でも、これは「仕掛け」という分類には入らない。
経過句の部分は、もともと楽譜に速度変化も表情変化の指示も書かれて
いないから、「単に楽譜どおりに演奏している」、ということで、「仕掛けの
うまさ」を説明するための一例にはならないと思う。
「演奏設計にかんしてのこだわり」ということなら納得。
ただ、「納得すること」と「演奏に共感を感じるかどうか」、はまた別問題で、
俺がマゼール盤に距離感を感じてしまうのは、そういった演奏設計の部分に
マゼール自身が楽曲に対しての共感からはじき出したものではなく、
分析から入ってはじき出した、「知性が勝ち過ぎていて共感に乏しい設計」
を感じる気がしているからだと思う。
これはあくまでも俺個人の感じ方だから、みんながそうだということではない。
念のため書いておくと、俺はマゼール盤はだめな演奏だとは全然思わない。
ただ、ここで大絶賛するほどの演奏だとも感じない、というだけの話なんだ。
テンポ設定には共感が伴わないと、そのテンポに相応しい表情は出てこない。
マゼール盤、第一楽章の序奏から主部に入るまでの間のテンポチェンジ、
また第五楽章のテンポ設定には、それに似合う表情が獲得出来ていない
気がする。
オケの共感が薄いか、マゼール自身の共感が薄いのか…。
そういうことも感じることがあり、「ウィーン・フィルならもっと自然に湧き出る
センスで勝負できたんじゃないか」、という感想に至った訳でした。
共感と自発性に触れた時のウィーン・フィルは、飛び抜け魅力的だしね。
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