>>197
ども。まずリンク先の論述に目を通したうえでレスをくれたことに対して礼を言います。
真面目に疑問を投げかけてくれているので、こっちも(2ちゃんっぽくないけど:笑)
真面目に応えてみる。そうでないと失礼にあたるからね。

>>>108の文章の中に、その歴史認識を問われるべき内容がどこにあるのか知りたい。
とのことだけど、「歴史感覚がない」と思ったのは、具体的には次のような箇所 。
>その無意味である時空間を(中略)美というものに絶対的価値をおき自然の調和を讃嘆し、
>それに触れる人々の心を 調和へと同調させる価値を創造することもできる。
>芸術は(中略)かけがえの無い価値を作っている。

まず、この考え方は19世紀のいわゆる(ドイツ)ロマン主義の芸術観に非常に近い。
「芸術」はそれ自体で自律した価値を持つ。「芸術家」は「芸術作品」を「創造」する。
自然の調和を賛嘆し、それを内面化して、「独自の表現」をそこへ投影する(これは108への俺の読み込みも入ってる)。

ここで括弧で括った言葉は、全て近代になってから発明され・流通するようになった概念であって、
それが過去の音楽「作品」へと遡及的に適用されて、いわゆる「音楽史」が作られたわけ。
108は明らかにそのことに無自覚だから、「歴史感覚」がない、言い換えれば「系譜学」的な観点が
欠けていると指摘したわけです。

付言すれば、「ルネッサンス時代やバロック、古典派時代、ロマン派時代」といった
「時代区分」自体が19世紀的というか、19世紀になってからこうした「歴史」が発明された。
言い換えれば、こうしたリニアな歴史観自体が、特定の「日付」を持ったものなわけで、
現在そうした歴史観の自明性そのものが問い直されている。

大学で音楽を専門に学ぶ人であればなおさらこうした歴史観の変遷には敏感であって欲しいと、
僭越だけど、俺が言いたかったことはそういうことだった訳です。
長文失礼。個人的な面識もないのに変だけど、音楽頑張って下さい。